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2026年05月23日15:35

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「夏の妹」大島渚〜沖縄と日本の捻れた関係〜

これまで見てきた大島渚作品とはガラリと雰囲気を変え、沖縄観光旅行のような軽いタッチの作品で、これが大島渚作品か?と肩すかしを食らう。武満徹の音楽にしても安っぽい感じだし、栗田ひろみの舌足らずな台詞まわしもあって、なんだか大島渚映画としては物足りない。

物語は、大村鶴男(石橋正次)という沖縄の青年から、異母兄妹であるとほのめかされた手紙を受け取った菊池素直子(栗田ひろみ)は、父(小松方正)が再婚しようとしている桃子(りりィ)と一緒に夏休みに沖縄へやって来る。兄でもあるかもしれない人に会うために。沖縄が日本に復帰した直後の1972年5月から映画の製作準備が始まり、同年8月に公開された。日本と沖縄の複雑な関係を比喩的に描いている映画でもあるわけだが、16ミリで撮影された沖縄の観光風景のような映像は、硬質で政治的なメッセージ性の強いこれまでの大島渚映画と違って、のんびりとのどかで妙に明るい。栗田ひろみの兄捜しの旅は、沖縄語を一言100円で教える青年(石橋正次)として最初の港から会っていたのだが、鶴男が東京の庭で妹だと思って見かけた女性は桃子(リリィ)であり、桃子を妹だと勘違いして手紙を書いたのだった。石橋正次、栗田ひろみ、リリィたちの戦後世代と、素直子の父である小松方正、鶴男の母の小山明子、もう一人鶴男の父である可能性のある佐藤慶の60年安保世代の三角関係の男女が絡み合う。さらに琉球歌の名歌手で「殺す値打ちのある日本人を探している」沖縄代表のような存在の戸浦六宏と日本が沖縄にしてきた残虐行為の責任を取るために「沖縄に殺されにきた」日本代表のような老人の殿山泰司らの戦中世代も加わってくる。

大島渚映画の大きな特徴である「歌」が本作でも度々出てくる。流しのギターを弾いているのに沖縄民謡を弾けない石橋正次は歌謡曲や「シルバー仮面」の主題歌を歌い、佐藤慶や小松方正はふざけた替え歌を歌い、リリィは浦島太郎の童謡を歌う。殿山泰司は軍歌を歌い、戸浦六宏は沖縄民謡を歌う。それぞれが歌う「歌」で、世代とキャラクターの役割を演出している。日本の男たちを相手にしてきた沖縄の売春婦たちとの時間を「竜宮城の浦島太郎のようだった」と懐かしむ殿山泰司。浦島太郎の童謡の替え歌で「ヘソの下」を連呼する小松方正。下品な笑いとともに沖縄を見下している日本人の傲慢さが描かれる。日本人が戦争中に沖縄にした残虐行為の話題になって、「僕は沖縄に来たのは初めてだ」と開き直る小松方正に、戸浦六宏は「あなたは沖縄とはなんの関係もないと言うのですか。そんな日本人と一緒に飲みたくない」と憤る戸浦六宏。アメリカと日本に引き裂かれてきた沖縄。日本人と沖縄人の壁。沖縄返還前に本土に来ていた沖縄人の佐藤慶は、沖縄人の小山明子を妹だと言って小松方正に紹介し、3人の三角関係は複雑になり、息子の石橋正次の父親はどちらか分からなくなった。そして、息子の石橋正次は、妹だと勘違いしたリリィと沖縄人の日本への復讐のようにセックスをし、妹かもしれない栗田ひろみが溺れたのを助け、キスをする。兄に憧れて沖縄にやってきた栗田ひとみは裏切られる。沖縄人と日本人の男女が二世代にわたって複雑な三角関係を重ねる。

ただ、戸浦六宏、佐藤慶、小山明子に沖縄人を演じさせているが、沖縄語もしゃべれない俳優に演じさせているだけで、観念的・図式的でしかない。本土と沖縄の行き来がずっと難しかった時代を経て、やっと自由に行き来できるようになったばかりの返還直後の沖縄ロケなだけに、どこか観光地巡りのようなムードが漂ってしまっている。沖縄と日本のいびつな関係を問題提起をしようとするにしても、映画としての力が感じられなかった。大島渚は、この映画の後に創造社を解散し、『愛のコリーダ』などの国際的な映画製作に乗り出していった。大島渚の映画では、やはり『日本の夜と霧』、『白昼の通り魔』、『日本春歌考』、『儀式』あたりが、野心溢れる大島渚らしい代表作なのではないか。


1972年製作/96分/日本
製作:日本ATG、創造社
配給:日本ATG

監督:大島渚
製作:葛井欣士郎、大島瑛子
撮影:吉岡康弘
音楽:武満徹
美術:戸田重昌
キャスト:栗田ひろみ、りりィ、石橋正次、小松方正、小山明子、佐藤慶、戸浦六宏、殿山泰司
写真引用コピーライト大島渚プロダクション
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