成瀬巳喜男の映画はやはり凄い。見せ場のシーンの演出の見事さは、多くのプロが今でも参考になる役者の動かしの演出であり、カメラワークだ。そして雨、雷、ロウソクの光、そして花火の演出とどれもが素晴らしい。人間を追いつめていく心理描写が深いのだ。本作も成瀬巳喜男映画の傑作の一つだろう。
前半は雨、雨、雨・・・。雨ばかりで、窓外の雨を見つめ続ける小林桂樹のモヤモヤとした陰鬱とした心情を描く。親友の三橋達也が店の外を通りかかり、偶然に出会って、雨が降り出す中でお馴染み酒場へ濡れながら駆け込む。そして帰宅してから、小林桂樹は窓の外の雨を見続ける。それは三橋達也の妻・若林映子の葬式のシーンでも続く。若林映子が殺されたアパートのオーナーの草笛光子の強い視線から逃れるように、小林桂樹は窓の外の雨を見続ける。同じように離れて窓の外の雨を見る三橋達也、離れて座る草笛光子と新珠三千代の4人のロングショットがまたいい。そして休みの日にどこにも行けないとおばあちゃん(長岡輝子)と子供たちが部屋から外の雨を見つめ、「イヤなお天気だなぁ」と子供が祖母の口真似をする。そんな雨続きに日々の最後に、雷が鳴り響き、停電となり、ロウソクを持った新珠三千代に若林映子との不倫関係を告白をする小林桂樹。このシーンの二人の動きと演出は本当に見事だ。カメラを割ってそれぞれの顔のアップを撮るのではなく、女が迫り、男が顔をずらし、二人の顔がオンになる2ショットの二人の動きと芝居の巧みさ。そして女がロウソクを持って近寄り、その光の揺れと雷の光の明滅。成瀬映画の名シーンはいくつもあるが、この作品のこの場面も息も付かせぬ見事な緊張感だ。雨や雷は成瀬映画では度々使われる演出だ。直ぐ思い出すだけでも『流れる』、『驟雨』、『あらくれ』、『浮雲』の屋久島など、効果的な雨のシーンが数多くある。この映画は、その後、晴天の遊園地や温泉での河原のシーンで闇や雨から抜け出したかと思わせておいて、トンネルで再び女を殺した小林桂樹の罪の告白シーンがある。河原シーンでの日傘を差した白い着物の新珠三千代は美しく可愛らしい。それだけに、そのあとのトンネルでの罪の告白が衝撃なのだ。言われた瞬間にやって来るトラックの警笛音。そして最後は子どもたちが祖母と花火見物に行っている夜の二人のやりとり。「自首する」という小林桂樹の決意を聞いたあとの新珠三千代の恐ろしい覚悟とその行為に花火の音が被さっていく。
この映画は、何度も小林桂樹の家の玄関が映し出される。小林桂樹が家に帰ってくるシーンが何度も執拗に描かれている。彼は家に帰ることで、罪に苛まれ、悶々とし、ノイローゼのように眠れない日々が続く。自らのその罪に耐えられなくなり、妻に告白し、親友の三橋達也にも告白してしまう。成瀬映画のいつものように、男は狡くて情けない。その男のズルさに、女たちが立ち向かっていくのが成瀬映画でもあるのだ。自分のしでかしたことの考えのなさとその罪の意識。その悶々とした思いから逃れられない男がこの映画では描かれている。最後に妻の新珠三千代は、「表玄関から堂々と出ていこうとしているあの人を、私が裏口からこっそり連れ出してあげるより仕方がない」と恐ろしいモノローグが入る。家の玄関は家庭を守る男たちが出入りする場所なのだ。ラストは、子どもたちとの明るい海辺のシーン。女は子どもたちを守るために、日常を守るために、「黙って生きていく」覚悟を心の内で語るのだった。
1958年の『鰯雲』が初のカラー作品で、『コタンの口笛』(1959)、『娘・妻・母』『夜の流れ』(1960)、『妻として女として』(1961)とカラー作品が続いたが、1962年以降またモノクロ作品に戻っていく。そして1966年の本作もモノクロ作品である。そして遺作の1967年の『乱れ雲』がまたカラー作品と、成瀬はどういう思いでモノクロとカラー作品を描き分けていたのだろう。本作は確かに罪を背負う心理サスペンスなだけに、モノクロの方が重みがあってマッチしていたと思う。小林桂樹が勤めていた会社でも、金の持ち逃げ事件と女との逃亡話が描かれ、小林桂樹を追いつめていくあたりのストーリー展開も上手い。とにかく、小林桂樹と新珠三千代のお芝居から目が離せなくなる傑作である。
1966年製作/101分/日本
原題または英題:The Thin Line
配給:東宝
監督:成瀬巳喜男
脚色:井手俊郎
原作:エドワード・アタイヤ
製作:藤本真澄、金子正且
撮影:福沢康道
美術:中古智
音楽:林光
録音:斎藤昭
照明:石井長四郎
編集:大井英史
キャスト:小林桂樹、新珠三千代、三橋達也、長岡輝子、稲吉千春、塩崎景子、若林映子、草笛光子、稲葉義男、加東大介
、黒沢年雄、十朱久雄、藤木悠、中北千枝子、田辺和佳子、河美智子
☆☆☆☆☆5
写真引用

︎1966 TOHO CO., LTD.
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