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2026年02月19日15:35

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「黒の牛」蔦哲一朗〜自然と一体化する人間の忘れ去られた風景を美しいモノクロ映像で〜

禅に伝わる悟りまでの道程を10枚の牛の絵で表した「十牛図(じゅうぎゅうず)」に着想を得て制作された、日本・台湾・アメリカの合作による映像詩。水墨画のような美しい予告編を見て、映像に力があるなと思って観た。蔦哲一朗が監督・脚本を手がけ、8年の歳月をかけて完成させたそうだ。

映像詩とあるようにほとんど台詞はない。基本的にモノクロ映像で、最後だけカラー映像になる。急速に変化していく時代のなかで、住む山を失った狩猟民、山の民は山から下りて人間の暮らしに入っていく。一人、山に残された男(リー・カンション)をカメラは追い続ける。最初は森が燃えている。里に下りることを決めた山の民は木々を焼いたのだ。木が燃え、そこに男がじっと佇んでいる。人間の世界に降りていく山の一族たちとの別れの後、男は一人、山を彷徨う。そして人里離れた家で老婆と一緒に男は暮らし始める。老婆の真似をして働き、農耕生活を始める。そして老婆の裸の体を拭いたりして世話をする。老婆が亡くなり、一人彷徨っていた男は、主人を亡くした一頭の黒い牛に出会う。なかなかなつかない牛だったが、牛を家に連れてきて男は牛と暮らし始める。禅僧(田中泯)の助けもあり、次第に牛を飼い慣らすことに成功し、田んぼを耕すために牛を使う。突然の豪雨など、雨が印象的に描かれる。牛を村のものたちに貸したりするようになり、「働きものの牛だ」と評判もいい。牛とともに生きる男。しかし、貸していた牛が死んだという知らせを受け、男は一人になる。牛がいた納屋で一人寂しく眠り、雪景色の中で一人餅をつき、食べる。そして白い霧とともに画面が真っ白になる。十牛図にあるように、牛を見つけ、飼い慣らし、牛飼いは牛と一体となる。さらに牛も自分も忘れる。牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。まさに無の境地ということか。白い画面がしばらく続き、やがてかすかに地面が見えたりするので、動く白い霧であることが分かる。

そしてカラー映像で美しい海と断崖が映し出される。高台の上には一頭の牛だけがいる。そして海の向こうでは火山が爆発しているような炎が吹き上がる。これは自然現象ではなく、人類の終末なのかとも思わせる。自己も牛も忘れた「第八図 人牛倶忘」のあとは、「第九図 返本還源」、忘れた先にあるのは元の世界へと還ることである。本作は35mmモノクロスタンダード撮影と70ミリフィルムを組み合わせ、さらにスタンダード(白黒)とシネスコ(カラー)という2つの画面サイズを使い分けている。最後のカラー映像は、現代の私たちが生きる世界である。ほかの牛たちが次々とやって来て、牛の死も描かれる。そして最後に「第十図 入鄽垂手」、映画館を出て世俗の世界に戻っていく・・・と画面に表示され、観客は笑いとともに現実に引き戻されて映画は終わる。

映像の圧倒的な力があるものの、「十牛図(じゅうぎゅうず)」をやや説明する映像になっているのは残念。モノクロ映像の白と黒の濃淡が美しい。牛と一体化するようなリー・カンションの存在感が素晴らしい。厳しい自然の中で人間がシンプルに牛とともにいる姿に忘れていた何かを思い出させてくれる。


2024年製作/114分/PG12/日本・台湾・アメリカ合作
配給:ALFAZBET、ニコニコフィルム、ムーリンプロダクション

監督・編集:蔦哲一朗
脚本:蔦哲一朗、久保寺晃一、上田真之、熊野桂太
プロデューサー:市山尚三、エリック・ニアリ、黄インイク、アレックス・ロー
共同プロデューサー:饒紫娟
撮影監督:青木穣
美術:部谷京子
衣装:大塚満
録音:岩間翼、大町響槻
サウンドデザイン:周震、松野泉
音楽:坂本龍一
キャスト:リー・カンション、田中泯、須森隆文、ケイタケイ、ブランカ・アディカ、山口孝二、岸本学、エバレット・ケネディ・ブラウン、サンディー海、勘緑、木偶舎、清水理江、ニノ宮隆太郎、今村幸代
☆☆☆3
画像引用(C)NIKO NIKO FILM / MOOLIN FILMS / CINEMA INUTILE / CINERIC CREATIVE / FOURIER FILMS

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