ゴダールが他界する直前となる2022年・第79回ベネチア国際映画祭「ベネチア・クラシック・ドキュメンタリー部門」で上映された。ジャン=リュック・ゴダールは、2022年9月13日、スイスにて91年の生涯を閉じた。映画監督として伝説となったジャン=リュック・ゴダールの人生にスポットを当てたドキュメンタリーだ。ゴダールの映像もふんだんに使われているし、数々の映画場面も挿入されている。「家族や友人、アンナ・カリーナら元パートナーたちの証言、マーシャ・メリル、ジュリー・デルピー、ナタリー・バイら出演女優や関係者への新たなインタビューなどを織り交ぜながら、その知られざる素顔に迫る」というもの。特別な視点や考察があるわけではないが、ゴダールという人間に関心がある者には、興味深く見ることが出来るだろう。配信視聴期限が切れるというので、慌てて見た。
ゴダールのことを世間では、「崇拝でも嫌悪でも、人間ではなく伝説として語られた。それでも伝説の陰に一人の人間がいる」とナレーションは語り、本作品は「伝説としてではなく、人間としてのゴダール」に迫ろうとする。第1章は、『恋人のいる時間』(1964)に主演したマーシャル・メリルのインタビューから始まる。「俳優はカメラを見ないけど、彼は見ろと言った」と証言する。1960年代、ヌーヴェルヴァーグそのものが、ゴダールだった。映画が長すぎるとして生まれた「ジャンプカット」、「映画の詩人」、「ストーリーよりも映画的空間をどう撮るか」、「映画の可能性の探求」。批評家や映画監督が当時のゴダールの新しさを語る。パリの高級住宅街で生まれ、フランスとスイスで育ち、父は医者、母は銀行家。富裕層の家庭で生まれ、ゴダールは少年時代のことを一切語らない。子供の頃の写真は一枚もないと言う。妹は兄が映画監督になったことを、家族の間では好ましく思っていなかったと語る。ゴダールは家を出て、相続を断わり、家族と疎遠になった。突然の交通事故での母の葬式にも家族は彼の参列を拒んだ。面白かったのは、彼には「窃盗癖があった」と言うのだ。叔父から金を盗んで仲間(ジャック・リヴェット)の映画製作の資金に充て、カイエ誌の金庫から金を盗み、祖父の蔵書を売り払ったと言われている。
「我々は調和から始めてはならない。混沌から始めろ。混沌から調和を解放しろ」。逆説を好み、矛盾の精神を身につけるゴダール。『勝手にしやがれ』で時代の寵児となり、「おおいに好かれてしまったので、2作目は大いに嫌われようとした」と本人自身が語り、『小さな兵隊』(1960)はアルジェリア戦争を取り上げ、数年間上映禁止になった。しかし、彼の主題はアンナ・カリーナだった。アンナ・カリーナのインタビューを交えながら、ゴダールとの関係が語られていく。『勝手にしやがれ』のアナーキー、『小さな兵隊』の混乱、『女は女である』のミュージカル、『女と男のいる舗道』の感情、『カラビニエ』の戦争、『軽蔑』の映画、『はなればなれに』の優しさ・・・。映画監督・批評家のティエリー・ジュスは次々と製作されたゴダール映画の「スピードが大事で、テンポとリズムが基本」だと語る。評論家のアラン・ベルガラは「彼は自分の伝説を作るのが好きなんだ」と、ゴダールの伝説は「彼自ら作り上げたものなんだ」と証言する。『気狂いピエロ』(1965)で、台本を用意していたにも拘わらず、「即興の天才」を自ら演じた。インタビューを受けても矛盾した突飛な言葉で、相手を煙に巻き、インタビューを破壊する。『彼女について私が知っている二、三の事柄 』(1967)に出た女優のマリナ・ヴラディは、片耳に隠したイヤホンから聞こえるゴダールの声をそのままセリフとして言ったと語る。まさに監督のロボットだったと。ハイデッカーの言葉をそのままセリフとして語っていたと俳優は後から知らされる。アンナと別れた後、彼と一緒にデモにも参加し共に行動していたマリナ・ブラディは、プロポーズされて断わったら、「二度と私と口をきいてくれなかった」と語る。
そしてゴダールは政治闘争、毛沢東主義へと傾倒していく時代を第2章で描き、『中国女』(1967)に主演したアンヌ・ヴィアゼムスキーとの出会いなどについて語られていく。『ウィークエンド』(1967)で描いたアメリカ資本主義社会、大量消費社会への批判と憎悪。ルール無視の300mレールの伝説的な長い移動撮影も語られる。こういうパンクなところがゴダールにはある。そして1968年のパリ五月革命、学生たちとのデモの映像、カンヌ映画祭中止の呼びかけ、商業映画への訣別宣言を経て、ゴダールは映画作家としての立場を捨て「ジガ・ヴェルトフ集団」としての活動が始まる。さらにアンヌ・ヴィアゼムスキーとの別れ、グループの解散があり、政治的な活動の挫折がある。
第3章ではゴダールの再出発が描かれる。1971年ゴダールはバイクの交通事故を起こす。死にかけたゴダールは、新しい人生を得るために新たなパートナーが必要だった。アンヌ=マリー・ミエヴィル、フランス系スイス人で政治活動家。対等な対話が出来る相手だったという。「ソニマージュ」の創設。音(Son)と映像(Image)を分断・再結合。アンヌ=マリー・ミエヴィルとの共同制作作品。
第4章では、1977年スイスのローザンヌに住まいを移してからの活動が描かれる。『勝手に逃げろ/人生』(1980)に主演したナタリー・パイのインタビュー。「自分を再発見するのに20年かかった」とゴダール自身は言い、「私自身から生まれた最初の映画だ」とも語っている。スローモーションやストップモーションを使った絵画のようなアプローチ。「カメラ万年筆」ならぬ「カメラ絵筆」。『パッション』(1982)に出たハンナ・シグラは、ゴダールは「すべてを理解するな」と言ったという。「彼には子供っぽい傷のようなものがあった」、「痛みが好きだから、痛みを与えるのも好きなのよね」とも。孤独を自ら好みつつ、「孤独は好きでない」と語るゴダール。人と交わるのは映画を撮影しているときだけだと言う。だから彼には映画が必要だったのかもしれない。14歳の時にゴダールと出会ったジュリー・デルピーが『ゴダールの探偵』(1985)に出たときのことを語る。現場では誰もがゴダールと話が上手く出来なかった、と。ゴダールは「完全に俳優じゃない人が好きだった」。「彼は複雑で変人だったし、意地悪だけど愛に溢れていた」とジュリー・デルピーはゴダールの思い出を語る。
「そして光がある。兵士がいる、ボスがいる、子供がいる。.光がある、喜びがある。戦争がある、天使がいる、恐怖がある。そして光がある。世界の傷がある、夜がある。聖母がいる。恩寵がある。そして光がある。そして光がある.そして光がある。霧がある。冒険がある、フィクションがある。現実がある。ドキュメンタリーがある、動きがある。そして映画がある。イメージがある、音がある。そして映画がある。そして映画ある・・・。」(JLGのつぶやき)
『JLG/自画像』(1995)で始めて自分の子供の頃の写真を公開した。「ただ一人の仲間。私自身の喪に服している」と自らの子供時代の写真を語る。裕福な家庭に育った少年とワルシャワのゲットーの写真の少年。その違いは出自にある。そのことをゴダールは恥じていた。過去への回帰。『ゴダールの映画史』(1998)では、495本の映画の引用と148冊の本の断片を使用し、ニュース映像と写真、絵画を追加した。作業に10年以上費やした。
そして80歳を過ぎて、彼は自分のアーカイヴと機器、蔵書を手放した。再び過去を拭い去り、身軽になって再出発するために・・・。
「たとえ希望が叶わなくても、我々は希望を持ち続ける。希望は必要なユートピアだ。今後も希望は強敵に阻まれ、何度も燃え上がるだろう。希望は常に目覚めている。希望の領域は、我々の時間より大きく、すべての大陸に広がっている。たとえ希望が叶わなくても、我々は希望を持ち続ける。」というゴダールの言葉でドキュメンタリーは終わる。
2022年製作/105分/PG12/フランス
原題または英題:Godard seul le cinema
配給:ミモザフィルムズ
監督:シリル・ルティ
製作:カティ・パルンボ、ビクトル・ロベール
脚本:シリル・ルティ
撮影:ジェルトリュード・バイヨ
編集:フィリップ・バイヨン、シリル・ルティ
音楽:トマ・ダペロ
ナレーション:ギョーム・グイ
キャスト:マーシャ・メリル、ティエリー・ジュス、アラン・ベルガラ、マリナ・ブラディ、ロマン・グーピル、デビッド・ファルー、、ジュリー・デルピー、ダニエル・コーン=バンディ、ジェラール・マルタン、ナタリー・バイ、ハンナ・シグラ、ドミニク・パイーニ、ジャン=リュック・ゴダール
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写真引用(C)10.7 productions/ARTE France/INA 2022
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