ヒッチコック本人がナビゲートするスタイルで、膨大なフィルモグラフィと過去の発言を再考察し、驚きと遊び心に満ちた映画づくりの秘密を紹介しているドキュメンタリー。最初に「脚本&ナレーション:アルフレッド・ヒッチコック」と字幕が出て混乱し、死後40年以上たつヒッチコック本人が、なぜ2022年製作の映画でナレーションで自作を語るのか?と思ったら、イギリスの人気芸人アリステア・マクゴーワンがヒッチコック本人の声音を真似して演じている。ヒッチコック映画については、トリュフォーがヒッチコックにインタビューした本をベースに作ったドキュメンタリー『ヒッチコック/トリュフォー』(2015)があるが、本作もそのヒッチコック研究の一つ。それだけヒッチコック映画は多くの人にとって興味深いのだろう。
ストーリーテリングや罪悪感や道徳観の描き方を分析するだけではなく、ヒッチコック映画の別の見方を提示する。最初、建物の中に扉を開けて登場人物が入っていくシーンをいくつか(『第十七番』、『舞台恐怖症』、『間違えられた男』など)取り上げて、映画の世界に観客をまず入り込ませるヒッチコックの映像テクニックが紹介される。カメラは登場人物とともに建物の中に入っていき、扉は閉めない。あるいは扉を閉める音だけが入り、閉める扉は映さずにカメラは室内を映していく。こんな風に観客は物語の世界に引き込まれていく。そんな映像の見せ方にこだわったヒッチコックの映画術はとても工夫に満ちていて面白い。「逃避」「欲望」「孤独」「時間」「充実」「高さ」という6つのテーマに分けてドキュメンタリーはヒッチコックの映画術を掘り下げていく。
最初のテーマは「逃避」。ヒッチコックはイギリスからアメリカに逃げ、様々な現実から逃避するような美しい景色をロケ地に選んできた。そして彼の映画の登場人物はあらゆるものから逃げ続ける。スーツ姿でトウモロコシ畑の中に入り飛行機から逃げ(『北北西に進路を取れ』、雨の傘の花が咲く中を逃げ(『海外特派員』)、敵から、組織から、閉じ込められた空間から、刑務所から.、逃げ続ける。自身の内面からも逃げていく。あるいはヒッチコック自身も、ただのありきたりな会話の撮影から逃げ、意表を突いた映像で観客の予想から逃げようとした。サスペンスの緊張感に笑いを入れたり(『暗殺者の家』の毛糸のイタズラ、『バルカン超特急』の格闘シーンを見ているウサギ)、『フレンジー』で連続殺人鬼が女を部屋で殺す場面をあえて映さずに、カメラは部屋から後ずさりするように階段を降りて逃げていく。そしてスタジオセットからワイプでつなぎ、外の通りまでカメラは逃げ出るのだ。あえて映さない映像手法など具体的に映像作品で紹介していく。一方でナチス強制収容所のドキュメンタリーでは、残虐な死体の数々をあえて編集せずに映したと語る。映すべきことと、映さないで想像させること。
続いてのテーマは「欲望」。人間は様々な欲望に突き動かされて行動する。『白い恐怖』でのグレゴリー・ペックとイングリッド・バーグマンが初めてキスをするシーン。お互いの顔にカメラが寄っていき、廊下の扉が次々と開かれていく欲望が解放されるシーン。『汚名』のバーグマンとケーリー・グラントのタイトな顔だけの長回しのキスシーン。仕事の話が出ると、画面はヒキの映像になる。『裏窓』では、グレース・ケリーの登場が、車椅子のジェームズ・スチュワートの顔を日蝕のように影で覆い尽くす。そして彼女がドアップでキスを迫る。あるいは人間の欲望のダークな部分にもヒッチコックは注目する。人を殺したいという欲望。正気を失わせる欲望。満たされない欲望。それらを表現するための光と影、セット、小道具、カメラワークなど、様々な演出手法で描いていく。
「孤独」のテーマでは、ロングショットや俯瞰ショットで描く孤独、食卓にいないはずの人の皿を用意する女性の孤独、空席の椅子で表す孤独。希望が失われる孤独、静寂に包まれる孤独など、様々な映画で追いつめられた人間の「孤独」は表現される。また「時間」をどう描くか。表示する時刻で描く時間、今という時が静止する瞬間、事件が起きていることを観客に想像させる時間、偶然のタイミング。時間は人を不安にさせる。時計を早く進ませたいと思っている人には、ゆっくりとした時間を描き、現在を映しながら過去を描き出す。時間の描き方がサスペンスにとって大事な要素であることが分かる。「充実」の章では、人生において充実した日々のことや満足し充実したシーンについて語られる。
最後に、ヒッチコックは高いところが好きだと「高さ」の章で語る。『めまい』のジェームズの高所恐怖症とは違って、高みから見下ろすシーンが好きだという。『スミス夫妻』の屋外観覧車に乗る二人、『汚名』の背の低いクロード・レインズと背が高いバーグマン、パーティーでクレーンショットの俯瞰からズームアップで手元の鍵まで寄るシーン、『疑惑の影』の図書館のアップからのクレーン俯瞰ショット、『逃走迷路』の自由の女神の高さを使ったサスペンス、車が落ちていく『第3の逃亡者』の救出劇。様々な映画の落下の恐怖やクレーンショットや俯瞰ショットの効果を語る。物語や社会、心理を表現するためにあえて高い位置に置くカメラ。登場人物たちのすべてを知っていると示すためにカメラを高い位置に置く場合もある。
映画はペテンであり、私はペテン師だと語り、「本作の脚本とナレーションはヒッチコックではないが、内容のほとんど真実である」という字幕が最後に出る。観客を驚かし、観客もまた驚かされることを求め、ヒッチコックは様々な映像術を駆使しながら映画を作り続けてきた。
2022年製作/120分/G/イギリス
原題または英題:My Name Is Alfred Hitchcock
配給:シンカ
監督:マーク・カズンズ
製作:ジョン・アーチャー
製作総指揮:グララ・ギリン
脚本:マーク・カズンズ
編集:ティモ・ランガー
音楽:ドナ・マクケビット
キャスト:ヒッチコック(声)アリステア・マクゴーワン
☆☆☆☆4
写真引用(C)Hitchcock Ltd 2022
ログインしてコメントを確認・投稿する