4Kリマスター版が劇場公開されたので今年初の劇場鑑賞。1991年フランスで製作され、日本では1992年公開された。公開時に劇場で観て衝撃を受けた記憶がある。火と水の祝祭。なんというスケールの映画だろうと、その圧倒的な迫力に驚かされた。
34年ぶりに見た『ポンヌフの恋人』は、やはり美しかった。大好きな映画だ。贅沢で豊かで奇跡のような映画だ。度重なる撮影の中断、俳優の負傷、貸切撮影許可がおりずポンヌフの大規模セットの建設とプロダクションの破産、完成までに3年の歳月を要し、膨大な製作費がかかり、製作中止の危機も何度もあったという。しかし、完成された映像はやはり美しくそのスケールは圧倒的だ。CGとかではない火の美しさとセーヌ川の水。そして二人の疾走感。全力で走り抜け、全身で踊り、幸福な二人を祝福するように夜空の夥しい数の花火とセーヌ川の水が二人を包み込む。あんな幸福で贅沢な映像はそうそう撮れるものではないだろう。橋の上で踊るシーンでは音楽はいくつも重ねられ、まさに祝祭そのもの。それにしてもあのモーターボートでの水上スキーのスピード感はなんだろう。ジュリエット・ビノシュ本人がスタントなしでやったと言われているが本当に驚きだ。火の力だけではなく、狂暴とも言える水飛沫が二人を迎える。ラストのセーヌ川への落下もまた、剥き出しの身体を持つ二人の関係に戻るには、水の力が必要だったのだろう。
ドニ・ラヴァンは言うまでもなくレオス・カラックスの分身である。フランソワ・トリュフォーがドワネル・シリーズでジャン=ピエール・レオに自らの分身として演じさせ続けたように、レオス・カラックスは『ボーイ・ミーツ・ガール』、『汚れた血』に続いて『ポンヌフの恋人』でアレックス三部作で完結させ、ドニ・ラヴァンにアレックスを演じさせ続け、自らの分身を体現させた。アレックスは言うまでもなく火の男だ。火吹きの大道芸もまたドニ・ラヴァン本人が練習を重ねて実演しているそうだが、凄い迫力である。しかし、その火の美しさを感動的に眺めていたミシェル(ジュリエット・ビノシュ)は、火の力で目を痛める。火はとてつもなく美しいが、恐ろしい力を持つものでもある。火の男のアレックスが、壁に貼られたミシェルのポスターを燃やすために、人を焼死させてしまう。あのポスターが燃える炎のメトロ構内の美しさと怖さ。美術館にミシェルがハンス(クラウス=ミヒャエル・グリューバー)とともに忍び込んで、蠟燭の炎で絵を見つめ、二人が抱き合っていたことをアレックスは知らない。アレックスの狂暴で危険な火の力をセーヌの水の力で鎮めることが最後に必要だったのかもしれない。ラストの念願の雪の再会デートで、「帰らなきゃ」という言葉を聞いた火の男アレックスは、川に落ちて水で鎮めなければ、ひょっとしたらミシェルを橋の上で殺していたかもしれない。そんな狂暴で純粋で危ういアレックスを、見事にドニ・ラヴァンは演じていた。
二人が走る疾走感、スピード感がこの映画の魅力であるのは間違いないのだが、冒頭は深夜の路上を死んだように二人ともトボトボ歩いているシーンから始まる。赤い服を着たミシェルが絵が入っているバッグを抱えて行く当てもない感じで路上を歩き、アレックスも路上に立ち尽くして地面に寝転んでしまう。走る車のサイドミラーに映し出される二人の姿。そしてアレックスは車に足を轢かれてしまうのだ。そのあとでアレックスがバスで回収されるホームレスたちの収容所の描写が生々しい。ドキュメンタリー映画のように薄汚れた男たちが集められ、喧嘩したり、怒鳴り合ったり、シャワーを浴びさせる(ここでも水は容赦なく、立てないアレックスを打ちつける)収容所生活が描かれる。そして足に包帯を巻き、杖をついたアレックスが改修工事のため立ち入り禁止となったポンヌフに戻ってくると、ミシェルに出会う。ミシェルが死んでいる男だと思って路上に横たわるアレックスを描いた絵を見つけたことがキッカケだった。
死んだように動きの鈍いミシェルとアレックスが走り出すのは、動く歩道を逆方向に突然進むシーンだ。ミシェルのことが気になるアレックスは、ミシェルの後をつけて様子を見守っていた。すると地下鉄の構内で聞き覚えのある元カレのチェロの音を聞いたミシェルは、手すりを乗り越えて逆方向に走り出すのだ。それを追いかけるアレックスもまた人々が動く方向と逆方向に走り出す。全速力で走るミシェルと杖をつきながら足を引きずって全力で追いかけるアレックス。愛を失わないために必死で走る。それをカメラはレールの横移動ショットで全力で追いかけて撮影している。そのスピード感が凄いのだ。全力で走る二人の身体性が剥き出しになる。この映画が感動的なのは、アレックスとミシェルを演じるドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュの演じる身体が必死で剥き出しだからだ。演じていることの余裕などないかのように、役者の身体性そのものが映像に焼き付けられている。この全速力で走るシーンも、花火の下で踊るシーンも、水上スキーも、酔って馬鹿みたいに笑い転げ、橋の上で喜びを表すシーンも、みんな身体性が露わになっているから魅力的なのだ。ミシェルを死に物狂いで追いかけるアレックスの気持ちが痛みとして伝わってくる。「私の白い杖となって」「盲導犬になって」と目が見えなくなるミシェルの願いを喜んで引き受けるアレックス。二人で稼いだ金をわざと川に落とすのも、アレックスはいつまでもこのままポンヌフで野良犬と野良猫のように二人でいたいからだ。しかし、ミシェルは目の手術をするためにポンヌフからいなくなってしまう。この映画は、報われないアレックスの悲痛な哀しみこそが魅力的であり、共感を呼び起こす。
改めてこの映画を観たときに、これはチャップリンの『街の灯』なんだと思った。盲目の花売り娘がミシェルであり、見えなくなるからこそのアレックスとの関係なのだ。手術して目が見えるようになれば、ポンヌフはミシェルの居場所ではなく、アレックスとミシェルはもうそれぞれ別の世界の人間たちなのだ。それでもこの映画は、ハッピーエンドに持って行く。アレックスの哀しみは、再会の雪の下のデートでも味わうことになるが、川への落下が二人を元の関係を戻してくれる。二人は橋の上で男女間のセックスの回数に関するジョークで笑い合う。セックスをしてないアレックスの純愛は、「今晩こそがその夜だ」と、ジョークの男の言葉そのものの気持ちだった。ラストの砂の運搬船の舳先で抱き合う二人は、『タイタニック』(1997)を思い出したが、この映画のほうが6年も前だったんだと思った。幸福なラストである。
1991年製作/125分/PG12/フランス
原題または英題:Les amants du Pont-Neuf
配給:ユーロスペース
監督・脚本:レオス・カラックス
製作:クリスチャン・フェシュネール
製作総指揮:エルベ・トリュフォー、アルベール・プレボスト
撮影:ジャン=イブ・エスコフィエ
美術:ミシェル・バンデシュタイン
衣装:ロベール・ナルドーヌ
編集:ネリー・ケティエ
音楽:ベンジャミン・ブリテン
キャスト:ドニ・ラバン、ジュリエット・ビノシュ、クラウス=ミヒャエル・グリューバー、ダニエル・ビュアン、マリオン・スタレンス、クリシャン・ラルソン、ポーレット・ベルトニエ、ロジェ・ベルトニエ
写真引用

Eurospace
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