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2025年11月04日21:04

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アブラハム渓谷」マノエル・ド・オリヴェイラ〜男を惑わす美しさと欲望とともに生きた女〜

1993年の映画「アブラハム渓谷」を、98年にオリベイラ監督が自ら再編集し15分の未公開シーンを追加した完全版。劇場公開されたものを鑑賞。203分、3時間23分の長編である。19世紀フランスの作家フローベールの「ボヴァリー夫人」をポルトガルの女性作家アグスティーナ・ベッサ=ルイスが翻案した小説「アブラハム渓谷」を原作にオリヴェイラが映画化。オリヴェイラ監督の常連俳優であるレオノール・シルヴェイラが主人公エマを演じて世界的に注目を集めた。

1960年代末期から1980年代末期の20年間をポルトガルを舞台に、一人の女性エマの一生を描いた映画であり、彼女の精神性、性的欲望、男性的な世界・権力への闘い、男と女の価値観などが描かれる。エマそのものの存在も含めて美しい映画である。

6歳で母を失い、父と二人暮らしで、14歳まで屋敷から外へ出たことがなかった箱入り娘エマ。小さい頃の病気で足を少し引きずるようにして歩くのだが、その美貌は男を惑わす危険なものだった。エマが屋敷の塀の上のベランダに立つと、家の前の道路を通る車の交通事故が多発し、市長のところに苦情が来るほどだった。ブドウ畑の階段でエマがスカートをやや拡げて座ると、ブドウ園で働く男たちの欲望の視線に晒される。その不躾な男たちの視線に怒りを表すエマだったが、見られることの快感は感じていたはずだ。エマが薔薇の花片に指で手を入れるシーンがあるが、なんともエロチックであり、そんな危険な美しさの持ち主であるエマが、一層輝く瞬間がある。それは敬虔な叔母の葬儀で、蠟燭に火をつけ、黒い喪服姿で振り返る瞬間だ。観客はカルロスと同じく、こんな美しく成長したのかと驚くが、このシーンからエマを演じている女優が変わっているのだ。14歳から少女時代を演じていたセシル・サンス・ド・アルバからレオノール・シルヴェイラへ。父(ルイ・デ・カルヴァーリョ)から紹介されていた医者のカルロス(ルイス・ミゲル・シントラ)にドアノブにかける手を重ねられたときの驚きの表情のアップと彼女の視線が印象的だ。無敵のお嬢様だった時代から、死や影を背負うことで大人の女性になったエマの美しさが一層人々を惑わしていく。

オープニングは、列車の車窓風景の横移動をバックにスタッフ・クレジットが出て始まるが、最後の方で渓谷の谷間を列車が走る映像が映し出される。列車は人生の時間経過なのか。そしてオレンジの果樹園のなかを歩いて行く笑顔のエマをカメラが迎えての移動撮影があり、ラストは水辺の死で終わる。エマの水に沈む体は映し出されない。アブラハム渓谷の川を何度もモーターボートで走る映像があり、ボート乗り場の腐った板を注意深く避けてボートに乗り込む場面が反復されてきた。だから、エマは水辺とともにあり、そこでは男との時間を過ごす欲望があり、最後に腐った踏み板に落ちて水の中に沈んていくのは、ある意味でエマの宿命であったのかもしれない。結婚式で幸福を表わす水色の衣装を身にまとい、死に際しても白地に水色の柄と帽子にも水色のリボンを纏っていた。エマにとって水色は幸福の色であると同時に、死の色でもあるのだ。

エマと表と裏のような一心同体のような関係の洗濯女リティニャ(イザベル・ルース)が出てくる。聾唖者であるリティニャは、勘が鋭くまわりをいつも観察している。そして昔と変わらず洗濯をし続ける女であり、電機洗濯機が普及をしても、リティニャは手で洗濯することを止めない。カメラは彼女が手を動かして洗濯する場面を長々と映し続ける。結婚してカルロスは、リティニャをエマの元から引き離してしまう。電話の取り次ぎも出来ない洗濯女は無用だと言って。リッティニャと引き離され、患者の往診でいつも家にいないカルロスに、エマは不満を募らせていく。そんな空虚感を満たしていくのが、自らの欲望だった。知人のルミアレス夫妻のパーティーで、若い農園主オゾリオ(ディオゴ・ドリア)にエマは性的な欲望を感じる。月光が差す闇の中で、蠟燭の灯りを手に持ちながら、夫の部屋へと向かう寝間着姿のエマの美しさ。そこには、男にとっての都合のいい籠の中の鳥のような眺められる女性ではなく、エマ自身が性的欲望の主体となって男の部屋へ向かう自我の覚醒がある。それからどんどんエマは性的に奔放となり、オゾリオの屋敷へと度々向かい、モーターボートで水辺を疾走し、男とベッドを共にする。オゾリオだけではなく、若い使用人の男との関係まで持ってしまう。

エマの話し相手であった知識人のルミアレス(ルイス・リマ・バレト)は、エマを誘わない。そのことにエマは屈辱と不快感を示す。また、オゾリオの屋敷でエマの忠実な下僕であった執事は、屋敷を出て仕事で成功し、エマに資金の援助を申し出る。その成り上がりの態度に怒りを顕わにするエマ。男性の合理主義と権力欲への不快を示しつつ、エマは男の支配から逃れ、性的自由であり、男を自ら惑わし、性的な快楽に溺れていく。金からも権力からも社会からも自由であろうとするエマは、洗濯女リティニャだけが同志であった。時代とともに変わっていく男たちと変わらないリティニャ。エマは最後にリティニャと抱擁し、薔薇の花を渡す。薔薇の花とは「揺れ動く」という語源があるらしい。処女性を保ち精神的な高貴さを持ち続けたリティニャ。性的欲望とともに生き、男社会に抗い続けたエマ。エマこそが「揺れ動く」薔薇の花だったのか。

映画の中で、かつて男と女は一つの身体であったものが、男と女に別れ、男にも女にも互いの性の名残りがあるし、失われた片割れを求め、同性愛とは雌雄同体の名残りなのだと議論する場面がある。フローベールは「ボヴァリー夫人は私なのです」と言った。女性の男性的側面に光を当てた小説。この映画のエマは、男性優位社会にあって、性的自我を解放し、新たな女性像を模索したのであろうか。あるいはその夢の中で、自己を見失っていったのであろうか。映画の中で鏡はかなり意図的に反復して使われている。最後のほうで、額縁に収まる母の古い写真(実は少女のエマを演じたセシル・サンス・ド・アルバの写真らしい)と丸い鏡に映るエマが並んで映し出される。エマは過去の額縁の中から抜け出して、自らを鏡に映して、自己を対象化し得たのだろうか。人生の美しさを感じることができたのだろうか。欲望と社会との葛藤のうちに死んでいったエマの魅力は、いつまでも映画の中に残り続ける。


1993年製作/203分/G/フランス・ポルトガル・スイス合作
原題または英題:Vale Abraao
配給:プンクテ

監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
製作:パウロ・ブランコ
原作:アグスティーナ・ベッサ=ルイス
脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
撮影:マリオ・バローゾ
美術:マリア・ジョゼ・ブランコ
衣装:イザベル・ブランコ
編集:マノエル・ド・オリベイラ バレリー・ロワズルー
ナレーション:マリオ・バローゾ
キャスト:レオノール・シルヴェイラ、セシル・サンス・ド・アルバ、ルイス・ミゲル・シントラ、ルイ・デ・カルヴァーリョ、ルイス・リマ・バレト、ミシュリーヌ・ラルパン、アントニオ・レイス、グロリア・デ・マトス、ジョアキン・ノゲイラ、オディオゴ・ドリア、ヌーノ・ビエイラ・デ・アルメイダ、ジョゼ・ピント、フィリペ・コショフェル、ジョアン・ペリ、イザベル・ルース
☆☆☆☆4
写真引用(C)Madragoa Filmes, Gemini Films, Light Night
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