『エロス+虐殺』(1969)、『煉獄エロイカ』(1970)、『戒厳令』(1973)は「日本近代批判三部作」と言われる吉田喜重の代表作。日本の映画監督の中で、最も難解で最も観念的な映画を作ったと思われる吉田喜重の作品をあらためて見直したいと思った。この作品以降、吉田喜重は映画界を離れ、テレビの美術番組のドキュメンタリーを多く制作し、1986年『人間の約束』で13年ぶりに映画監督として復帰。『嵐が丘』(1988)、『鏡の中の女たち』(2002)を撮って2022年89歳で亡くなった。松竹時代は6本、現代映画社を設立してから14本の映画を作った。
本作は1921年に起きた朝日平吾による安田財閥当主刺殺事件から、1932年の5.15事件、1936年の2.26事件までの15年間に渡る北一輝の独創的な思想と人間を描いた作品である。北一輝を演じたのは三國連太郎。脚本が別役実だということをあらためて見て知った。別役実は不条理演劇の第一人者であり、日本の演劇界に多大なる足跡を残した。映画脚本は、この『戒厳令』とアニメの『銀河鉄道の夜』(1985)だけだ。
本作は北一輝の視点から、5・15事件、2・26事件が描かれ、北のそばにいた妻のすず(松村康世)、陸軍軍人の西田悦(菅野忠彦)が多く出てくるが、おそらく史実にはない無名の兵士(三宅康夫)とその妻(倉野章子)が登場する。この無名の兵士が別役実らしい脇役として描かれているところが本作のユニークさだ。「国のために何かをしたい・・・」、殉国捨身の奉公を願う兵士なのだが、結局テロにも参加できず、何もできず、罰せられもしない。「憲兵のスパイだ。私を処刑してください」と言っても、スパイとして北から疑われず、北一輝のそばにいて自らすすんで北の行為を密告してスパイになった男として描かれる。北一輝は電話で青年将校たちに具体的な指示を出したという証言を兵士がしたことで、2・26事件の「チャチな策謀家」として処刑されることになる。2・26事件と「私は関係ない」と言っていた北一輝にとって不条理な処刑となった。
最初は朝日平吾の安田財閥の当主・善次郎の暗殺テロシーンから始まる。露出オーバー気味の白い画面。夏の屋敷の塀とその前の道、日傘の婦人とすれ違い、朝日平吾が10を数え、男に短刀を持って突き進む。北一輝の「日本改造法案大綱」を読んだと思われる朝日平吾は、10を数えて暗殺に向かった。その「暗殺前に10を数えたこと」を北一輝は、「その行為を厳粛なものにするために、その場所を危険でいっぱいなものにしたんだ。それが戒厳令さ」と語る。「愚鈍ながら至誠の志を持った多くの人が今、鬱屈しております。そうした錯覚された正義もまた正義であることを、私こそは理解しなければならない」と北一輝は言う。また憲兵司令部の内藤武敏は、北の「日本改造法案大綱」は「被虐主義だね、マゾヒズムだ」と指摘し、「この戒厳令下の空の下には、優に一個師団の弾薬を持った1400名の兵隊がいて、それをみんな一人一人の正義を抱え込んで暗く押し黙っているとしたら、どうだ?」「戒厳令下は、常に危険に満ち満ちていなければならない。そして同じ危険なら、分かりにくい危険よりも分かりやすい危険の方がいいだろう。」と言う。しかし北は「分かりにくい危険でいっぱいにしたいのだろう」と言うのだ。
「危険に満ちた空の下」で、様々な人々や兵士の不満や鬱憤がマグマのように溜まっていた。さらに北一輝は息子に「戒厳令」について語る場面もある。「戒厳令は秩序を与えるのではない。ただ人々の無秩序のなかから秩序を見いだすのだ」「やがて人々も気づくだろう。自分たちのうちにある秩序について。そしておそらく立ち止まって空を見上げ、そこに布告されている戒厳令を、自分たちの内なる秩序が作り上げたのだということを、確かめるのだ。」
この映画は、2・26事件に決起した青年将校たちの行動を描くものではなく、あくまでも北一輝の思想と人間、そして戒厳令下の空気を描いたものである。とても観念的で重苦しい。画面は影が多く暗い。遮蔽物がカメラ前を覆う大胆な構図で映像は構成されている。さらに縦構図の奥行きのある廊下や道などが度々出てくる。閉鎖的で見通しが開けていない陰鬱で冷たい映像ばかりだ。そして北一輝の家には、明治天皇の写真が象徴的に飾られている。それが何度も映し出される。法華経の念仏と明治天皇。国家社会主義的な思想を持ち、3年間憲法を停止して戒厳令をしき、華族や貴族院を廃止し、財閥を解体して、国民に自由と人権のある国家改造が必要だと論じた北一輝。「危険でいっぱいな状態にすること」で「自分たちの内なる秩序を無秩序の中から作り上げること」が「戒厳令」だというのだ。そして布告されている戒厳令の世界で見上げた空に「天皇がいる」かもしれないとも言う。「天皇の国民」ではなく、「国民の天皇」へ。
一方で、北一輝の女々しいところ、弱気になって自傷を繰り返すところも描かれる。北は「革命家というのは、革命を行う者のことではなく、むしろ革命に耐えられる人間のことなのだ」と言うのだが、北は2・26事件の青年将校たちの決起と自分は無関係であることを何度も語る。自分が書いたものによって、多くの者たちが感化され、影響されて決起しているにも拘わらず・・・。北一輝は「革命に耐えられなかった人間」なのかもしれない。自傷行為を繰り返し、妻に「故郷では何かに怯える度に誰かが自分を罰してくれた」と泣き言を言う。まさにマゾヒズム的な態度なのだ。
そして5・15事件の時、発電所を爆破するテロを実行できなかった兵士は北のところに謝罪に来る。「私はやるなとは言わなかったが、私ならやらないと言ったんだ。参加するかしないかは君自身で決めろ」と言っただけだ。何もしなかった自分を責め、「どうしていいかわからないんです。助けてください」と北に泣きつく兵士。「罰してくれ」と言う兵士に北はなにも言わずに「もういい。行け」と突き放す。
北一輝に疑われないことで逆にスパイになって密告した兵士のことを聞いて、北が言う。「私がもし誰にも疑われなくなったら、私もそうしたかもしれません」と。憲兵は「あれがあなたの本当の弟子だったのかもしれません」と言う。誰からも疑われたり、罰せられたりしないで、無視されることこそが、一番の屈辱であり、生きているに値しないことであった。そんな男を北は責めたりはしない。北は行動する者ではなかった。この映画では、北一輝はほとんど家にいる。多くの人たちが北の家を訪ねてくるが、北は自分から行動はしない。報告を聞くだけ。受け身なのだ。自分の書いたもので多くの人々を感化したが、そのことを引き受けて立ち上がる革命家ではなかった。その決起に自分は無関係だと言って、狼狽えていたとも言える。言い訳ばかりしているようにも見える。その一方で、疑われもしなかったら、物足りなくもあったはずだ。そんなアンビバレンツな思いの中で、「厳粛で危険でいっぱいにする戒厳令」の状態を維持することにこだわった。「無秩序から自分たちの秩序をそれぞれが作り上げ、見いだすこと」を。結局、2・26事件は陸軍内部の統制派と皇道派の派閥抗争として片付けられ、北はその「チャチな策謀家」として処刑された・・・。それが北一輝の運命であり、人生であった。そんなことを描いた映画である。
1973年製作/110分/日本
製作会社:現代映画社=ATG
監督:吉田喜重
脚本:別役実
企画:吉田喜重、葛井欣士郎
製作:岡田茉莉子、上野昂志、葛井欣士郎
撮影:長谷川元吉
美術:内藤昭
音楽:一柳慧
録音:久保田幸雄
照明:中岡源権
編集:岡芳材
キャスト:三國連太郎、松村康世、兵士三宅康夫、兵士の妻倉野章子、菅野忠彦、飯沼慧、内藤武敏、今福将雄、辻萬長、八木昌子
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写真引用(C)1973東宝
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