ホウ・シャオシェン(侯孝賢)の1984年の映画。35年の時を経てデジタルリマスター版劇場公開ということで映画館に観に行く。ホウ・シャオシェンの未見だった作品だ。エドワード・ヤンがお父さん役で出演。選曲も担当している。翌年製作されたエドワード・ヤンの『台北ストーリー』(1985)では、逆にホウ・シャオシェンが彼の映画に出演している。1980年代の台湾ニューシネマをけん引した二人である。
まず驚いたのが小学校の卒業式で答辞が読まれるなかで聴こえてくる「蛍の光」と生徒たちに歌われる「仰げば尊し」の歌だ。「仰げば尊し」の原曲はアメリカらしいのだが、日本統治下時代のなごりなのか、台湾の卒業式で日本と同じような歌が聞こえてくる。さらに、エンディングもなんと日本の童謡「赤とんぼ」が使われている。これはエドワード・ヤンが選曲したものなのかよく分からないが、日本の植民地だった時代への複雑な思いがそこにあるのかもしれない。
列車が何度も画面の中を通り過ぎてゆく。小学校を卒業したトントン(ワン・チークアン)は母が病気のため、妹ティンティン(リー・ジュジェン)と一緒に列車で祖父の家がある田舎の村(台北近郊の銅羅)へ行き、夏休みを過ごす。そして帰りは父(エドワード・ヤン)の車で戻って来る。行きだけが列車なのだ。トントンを夏休みの田舎に連れて行くのは列車であり、ティンティンがオシッコが出来なかったり、一緒に送ってくれた叔父さんを途中駅で置いてきぼりにしたりする。ホウ・シャオシェン映画にあって列車は重要なモチーフとしていつも使われている。登場人物たちを都会から地方へ、あるいは地方から都会へと運び、または運ばずにただ目の前を通り過ぎてゆく。「時間」のように列車は冷酷で待っていてくれないものであり、ただ過ぎゆくものでもある。この映画では、妹の命を危険に晒しさえする。おじいさんの家の窓から列車が通過する様子が見られ、家を出ると踏切もなく線路がすぐそばに横たわっている。危険なものは無造作に人生のそばを通り過ぎる。そして誰かの思いを運んでいくものでもあるのかもしれない。母の病気が悪化したために、祖父と祖母は台北に行こうとするが、事故があって二人はその列車には乗れなかった。列車は情け容赦なく過ぎゆくものであるのだ。
ホウ・シャオシェンの傑作『恋恋風塵』(1987)でも田舎の地方と台北を繋ぐものとして列車は印象的に使われているし、駅のホームも別れや再会の場所となっている。また初期の『坊やの人形』(1983)でも希望や絶望を運んでくる列車や駅が印象的に使われていた。本作では、叔父さんが乗り遅れたことで先に駅に着いた兄と妹は、地元の子どもたちと駅前のターミナルで交流する。ラジコンカーと亀の出会いだ。いつだって列車や駅は、都会と田舎を繋ぎ、物語を運んでくる。
そして本作で感じたのが、描写の省略のうまさだ。描写が簡潔なのだ。余白をうまく使っている。ダラダラと余計なことは描かずに、シンプルに物語を展開していく巧さに感心した。川で遊んでいたら、友達がいなくなった牛を追って行方不明になり、みんなで探しに行く場面がある。すると、橋の上で裸で寝転んでいた少年が映る。そこで話はスパッと終わる。少年を見つけるシーンなど描かない。あるいは、トントンが犯人を匿っていた叔父さんのことを密告したシーンでは、トントンが密告するシーンは描写せずに、ただ祖父が警察に電話している横に立っている画面ですべて分からせる。くどくど描かなくても、スパっと省略して映像で見せているのだ。母の病状を心配して眠れないトントン、祖父や祖母。知的障害のあるハンズ(ヤン・リーイン)が木から落ちたことを心配して、そばで見守るティンティン。そして翌朝、祖父と祖母が橋の上から遠くを見ている映像が入る。ハンズのそばで寝入っているティンティン。そしてトントンのモノローグで母の病状が回復したことが語られる。台北の病院からの電話のシーンなど入れないことで、逆にそれぞれの思いや余韻が伝わる。
夏の田舎の風景が郷愁を誘い、誰もが子どもの頃の田舎の夏休みの空気を思い出す。台湾も日本も田舎の風景は同じだ。風に揺れる緑の葉や木々のざわめき。子どもたちの木登りのシーン。その木の下にある祠に知的障害のあるハンズが、木の枝や飲み物などをお供えしている。裸での川遊びや橋と通り過ぎる列車。そしてセミや虫たちの声。懐かしく美しい田舎の風景がそこにある。『童年往時』(1985)でも、『風櫃(フンクイ)の少年』(1983)でも、ホウ・シャオシェンは懐かしい田舎の風景と子どもたちを見事に活写していた。一方で、子どもたちはひと夏の中で、さまざまな邪悪で計算高い大人たちの世界を覗き見する。生きていた雀を罠で捕まえる場面に続き、その男がハンズの家に入り込み彼女を襲おうとする場面を目撃する。あるいは昼寝していたトラック運転手から金や腕時計を盗む犯罪場面。大きな石を持って襲おうとしている男。祖父はハンズを妊娠させないように手術した方がいいと説得しようとしているし、叔父(息子)が地元の恋人を勝手に妊娠させたことが許せない。大人たちの勝手な理屈や行動をじっと見ている子どもたち。映画は、ハンズという女性を通して、そんな打算的な大人とは違うピュアな精神を描いてみせる。列車に轢かれそうなティンティンを救い出し、傷ついた小鳥を巣に返してやろうとして木から転落するハンズ。トントンら男の子たちから仲間外れにされて、ハンズと出会ったティンティンの夏の時間も愛おしく描かれる。トントン、ティンティンのそれぞれの夏の時間。
開業医をやっている大きな祖父の家は日本式家屋で、おそらく祖父(グー・ジュン)は中国本土から台湾に渡ってきた外省人だろう。漢詩を孫に教えるシーンもあるが、2階の廊下で走り回ったトントンとティンティンを睨みつける場面など厳格な人物と思われる。トントンの叔父(祖父の息子)が恋人を妊娠させたことで、怒りにまかせてバイクを壊す場面もある。外省人としてのプライドと台湾生まれの本省人への差別意識もあるのかもしれない。トントンの夏休みは、そんな外省人ルーツの家族と本省人の地元の人々や子どもたちとの交流が描かれた夏でもあるのだ。
1984年製作/98分/G/台湾
原題または英題:冬冬的暇期 A Summer at Grandpa's
配給:Stranger
監督:ホウ・シャオシェン
製作:チャン・ホアクン
原作:チュー・ティエンウェン
脚本:チュー・ティエンウェン、ホウ・シャオシェン
撮影:チェン・クンホウ
編集:チェン・クンホウ
音楽:ドウ・ドゥチー
キャスト:ワン・チークアン、リー・ジュジェン、グー・ジュン、メイ・ファン、ティン・ナイチュ、チャン・ボージョン、ヤン・リーイン、エドワード・ヤン
写真引用(C)CITY FILMS LTD.
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