こういうわけのわからないヘンな映画が私は好きだ。謎めいた不思議な映像世界にワクワクしてしまう。これはなんなんだろうと考える楽しみがあるのだ。「ヌーヴォー・ロマン」の代表的作家アラン・ロブ=グリエが1963年に発表した映画監督デビュー作。アラン・ロブ=グリエは、有名なアラン・レネの名(迷)作『去年マリエンバートで』(1961)の脚本を書いている。映画作品は『エデン、その後』(1970)というヘンな映画は特集上映「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」で観たが、それぐらいなのでもう少し見てみようと思う。
本作は簡単に言ってしまえば、トルコのイスタンブールにやって来た教師の男(ジャック・ドニオル・ヴァルクローズ)が、謎の女(フランソワーズ・ブリオン)に道を聞いて出会う。何度か会って惹かれていくうちに、突然その女と会えなくなる。女の名前も住所も分らない。男は女のことを知っていそうな人たちに聞いて回り、女の居所を探すが見つからない。そしてある夜、多くの人々が行き交う町で女と再会する。女の近くで何度か見かけた犬を連れた男も一緒だ。女は「一緒にいるのを見らるのとマズいわ」と言い、車に一緒に乗ってどこか遠くヘと言って夜道を走らせる。ところが、突然、道路に一匹の犬がいて(男が連れていた犬=幻想?)、驚いてハンドルを切った女は木に激突して死んでしまう。女のことは何も分らないまま、男は彷徨い、女との思い出に耽り、幻想の世界に入っていく。そして女が乗っていた車と同じ車を手に入れ、女と同じように夜道を走らせ、また犬が道路に現れ、木に激突して女と同じように男は死んでしまうのだ。船に乗っている笑う女が最後に映し出され、映画は終わる。
はてさて、女は実在したのか?謎の女は本当に死んだのか?どこまでが男の幻想なのか?女と再会したことが幻想なのか?男は本当に死んだのか?何もわからない。どうのような理解も可能なのだ。トルコに迷い込んだ異邦人の男。言語は英語・フランス語・トルコ語・ギリシア語など様々な言語が飛び交い、英語とフランス語しか分らないフランス人の男は、現地の人々が女と交わす言葉が理解できない。男に分らないように、トルコ語でこっそり女に伝える現地の人々。謎の女は何者なのか?
冒頭は女の顔のアップだ。目を大きく見開いた顔。そういえば事故で死んだときも目は見開かれていた。男は何度か女の顔の目の前に手をかざす。女の見開かれた目を塞ごうとするかのように。男はいつも2階の部屋の窓の鎧戸の隙間から外を見ている。海辺で釣りをして座っている男。2匹の犬を連れているサングラスの男。モスクの前の男。アパートの女性や子供。いろんな怪しげな人間が登場する。二人を監視しているかのように。そう考えると、この映画は視線の恐怖についての映画なのかと思う。視線は交わらない。誰かが誰かをじっと見ている。その視線に気づいて見返すと、見ていた人は視線を逸らす、あるいはいなくなる。男が女にキスをしようとする。すると女は「ダメよ、窓から覗いている」と言う。カメラが引くと、二人の奥で窓から覗いている女がいる。男が振り返って見ると、窓の女はいなくなる。「こんな偽の町で、何をしろというの?恋物語の書き割りみたい」と女は言う。イスタンブールの町は、異邦人の外国人たちにとって「偽の町」、「偽の家」、「書き割り」でしかないのか。
左から右方向へカメラがパンをする。草むらで寝ている女と木のそばで座っている男。さらに右へとパンすると小高い場所で手すりに寄りかかってこちらを向いている二人の男女、さらに同じカットのまま右にパンをすると、同じ場所で手すりから海を見ている女の後ろ姿に男が後ろ姿で入り込んでくる。このような同じリスムでパンをしながら、あるいはカットを重ねながら、二人が別の衣装でいたり、別の時空間をつなげている映像がある。かなり計算高く特殊な映像を撮って繋げている。最初のパーティーの場面では、二人の女性が笑いながら会話していると、カメラ前を誰かがシャッターしてズームしていくと、先ほど映っていた女性二人がいなくなっている。海辺のカフェで男が女を待っていると、奥のテーブルでサングラスをかけた男(いつも犬を連れいる男)が新聞を読んでいる。女が男の前に現れて、カメラがパンをすると、先ほどいたサングラスの男がいなくなっている。ボートに乗っている二人がいて、カメラがその二人からパンをすると、船に乗っている同じ二人の後ろ姿がある。そんな風な不思議な映像が積み重ねられる。また、人々は度々静止する。広場で多くの人たちが立ったまま静止している。その中を一人歩いてくる男。人々は歩く男の方に少し顔を向けるが、体は静止したまま。そんな奇妙な映像もある。後半で女と夜の町で再会する場面でも、人混みの中でサングラスをかけて二匹の犬を連れている男が、カメラ前を人が横切った瞬間にいなくなっていたり、女もいなくなったり、人々が静止すると現れたり・・・。最後の修理している車から左にパンをすると見ている男がいて、さらに右へ左へとパンが繰り返され、男は車に乗って出ていく。現実なのか、実在している人物なのかよく分からない幻想的な映像が積み重ねられていく。同じカットの中で人物がいなくなったり、時間がジャンプしたり、同じようなパンの中で別の時空間をつなげる映像。こんな風にして、映画は人の存在自体を曖昧にし、別の時空間を同じ映像の中に留めようとする。あるいは体を静止させ、時間を歪めさせようともする。
女はレイラと名乗ったり、ラーレと名乗ったり。エリアーヌと呼ばれていたり、ルシーヌという名前だと言われたり、とにかく謎だ。住所を聞いても、女は紙に書くフリをして紙を投げ捨てる。後でその紙を男が拾って見ても、何も書かれていない。少年はギリシア語で女に「あの人が探しているよ。ママはとぼけておいたって」と伝える。女は誰か別の男に囲われ、監視されている存在なのだろうか。その後、男の前から女は姿を消す。パーティーで女と話していた背の小さな女性や家の近くと思われるアパートの女性も、面倒に巻き込まれると思い関わりたくないのか、女のことを知っているのか知らないのか、確かなことは何も教えてくれない。
傾いた墓石が立ち並ぶ廃墟のような墓地、遺跡のような何本もの柱が立つ不思議なセットのような場所。女や犬を連れた男や地元の人たちが闇の中を歩き、立っている。海辺で水着で寝転ぶ女や浜辺に立つ後ろ姿、船の上の女、下着姿で踊る女、ソファに横たわる女。女の首に男の手が添えられる。男が部屋で女を殺したのか。あるいは自動車事故は助手席の男がハンドルを切って女を殺したのか。そして男はもう一度、同じ車で自殺したのか。男は女が入ってきた海の見える入り口(写真)から、同じように後ろ姿で出ていく。
モスクの中の柱廊や回廊、塔が奥に見える細い路地、広場、土産物屋、古いモスク、何度も女と一緒だった場所の映像が反復される。紙を投げ捨てるアクションの反復。部屋の中の鏡、車で走る夜の道。「ここは想像の世界よ。あなたが夢で見たモスクは、今にも崩れそう。夢で見たあの船も、沈みかけている。最初からやり直さないと」と言う女の声が聞こえる。イスラム文化圏に迷い込んだ異邦人としての西欧人。ビザンチウムの崩れ落ちた城壁がそのままになっている。「夢に見たトルコで、異邦人のあなたは さまよう。偽の監獄や要塞に デタラメな物語。もう引き返せない。逃げようとしても 偽の船しかない。」「急ぐのよ」と女の声に導かれるようにして、男は車を走らせて果てるのだった。
トルコ音楽が廃墟の建物を背景に何度も流れる。イスラムの歌声が響く。船のエンジン音、犬の鳴き声、汽笛の音、石工の石を削る音、急ブレーキ音と激突音・・・。様々な音も強調されて使われている。今見ても刺激的で面白い一作だ。時間と空間の繋げ方がまた独特だ。見慣れたいつもの映画ではない。あらためて映画はどこまでも自由なのだと思った。
1963年製作/101分/フランス・イタリア・トルコ合作
原題または英題:L'Immortelle
配給:ザジフィルムズ
監督:アラン・ロブ=グリエ
脚本:アラン・ロブ=グリエ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー、ミシェル・ファノ
製作:サミー・アルフォン
キャスト:フランソワーズ・ブリオン、ジャック・ドニオル=バルクローズ、カトリーヌ・ロブ=グリエ
写真引用

1963 IMEC
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