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2025年08月18日14:15

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戦後80年ドラマ「八月の声を運ぶ男」の阿部サダヲが素晴らしかった

池端俊策脚本。見事な構成だった。記憶にはフィクションが伴う。多かれ少なかれ、記憶にはなんらかの捏造が加わる。起きた事実そのものを記憶することなんて出来ない。個人個人の意識や価値観のバイアスが働く。記憶の集積である歴史でも、それぞれの時代の権力者のバイアスが働く。都合良く記憶された過去、語り継がれてきた歴史、書き継がれた過去。それを様々な立場のものを寄せ集めながら、歴史は検証されていく。それでも事実そのものとして残すことも取り出すことなんて出来ないのだ。歴史はフィクションであり、記憶もまたフィクションなのだ。だから聞き取ることは、それを前提で聞き取らなければならない。被爆体験に嘘が混じっていたとしても、仕方のないことだ。それが個人という頭と身体を通じて、記憶として留め置かれたものなのだから。だからといって被爆体験を聞き取ることの価値は変わらない。そのことを衝撃的なフィクションドラマとして描いているのが本作だ。

阿部サダヲが語っていたことに、どれだけ創作が混じっていたとしても、様々な人々の被爆体験を通じて彼が感じたこと、体験談として語られたことを彼なりに語ったとしたら、それもまた一つの被爆体験なのだと思う。そしてその聞き取り作業に情熱と生き甲斐を求める元記者、本木雅弘もまたそのフィクションに加担せざるをえないのだ。その聞き語りの物語から、ドラマというフィクションを作る作業もまた、嘘(虚構)を交えて伝えているのだ。伝えるということは、事実そのものではない。あくまでも個人というフィルターを通して、伝えられたことである。そのことの価値は、どれだけ虚構が混じっていたとしても、変わらず価値あるものだと思う。もちろん事実の検証作業は必要なことだ。それは歴史的事実を突き止めるためにする作業で、また別のことだ。

このドラマは「声」をめぐる物語であり、石橋静河が自分を妊娠したときに被爆した母の声を聞くところは感動的だ。「声」には身体の温度があり、唯一無二の価値がある。それは文章よりも、リアリティのある価値ある証言だ。しかし、阿部サダヲのような演技力のある語り手も存在するだろう。いわば彼は物語の語り手なのだ。人の思いを伝える語り部であり、伝達者。それはもの作りに携わる誰もが持ちたいと思っている能力なのかもしれない。

阿部サダヲの架空の存在であった姉を演じた伊東蒼も良かったし、記憶に映像が補足されることで、視聴者を混乱させることに成功していた。そして何よりも阿部サダヲの存在そのものが、見る者をインパクトを与えていた。デモ行進で前のめりになって足を引きずりながら歩く姿、突然煙突に昇る描写、クラシックに夢中になる姿など、彼の存在に特別な何かを感じさせた。柴田岳志の映像演出は、被写界深度の浅いボケ映像で描かれものを極力限定し、より想像力で補うような作りになっていた。また窓外からの映像や、本木雅弘と阿部サダヲの会話シーンでは、ラインを越えながら独特の語りの雰囲気を演出していた。NHKのドラマ作りのクオリティの高さに感心した。

【放送】NHK 2025年8月13日(水) 総合 夜10:00〜11:29 [全1回]
【原案】伊藤明彦『未来からの遺言 – ある被爆者体験の伝記』
【作】池端俊策
【音楽】清水靖晃
【制作統括】加茂義隆(WOWOW) 尾崎裕和 熊野律時(NHK)
【プロデューサー】松本太一(WOWOW) 森井敦(東映京都撮影所)
【出演】本木雅弘、石橋静河、伊東蒼、尾野真千子、田中哲司、阿部サダヲ
【演出】柴田岳志
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