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2025年07月01日18:44

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「リバー・オブ・グラス」ケリー・ライカート〜何者でもない空虚さと日常からの脱出への欲望〜

ケリー・ライカートはアメリカのインディーズ映画で注目された1964年フロリダ州マイアミ生まれの女性監督。彼女の作品が日本で紹介されたのは2021年7月の特集上映「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」にて初期4作品が公開され、2023年末に『ファースト・カウ』(2020)が公開された。それを私は初めて観た。面白かったので彼女の作品をいつかまとめて見ようと思っていた。

それで『リバー・オブ・グラス』は1994年のケリー・ライカートのデビュー作だ。なかなか捉えどころの難しい奇妙な映画だ。南フロリダ郊外の平屋建ての家で暮らす30歳の主婦コージーの物語。おそらくケリー・ライカート自身が投影されてる役柄だろう。南フロリダの西側に先住民族が「リバー・オブ・グラス(草の川)」と呼んでいた湿地帯があった。人が住めないと思われていた湿地帯は、今や町が出来ている。そこで暮らしているコージーには、レストランで働く夫がいて、父は警察署の刑事だが、昔はジャズ・ドラマーだった。彼女が10歳の時に母は家を出てサーカスに入団したとモノローグで語られる。幼い二人の子供がいるが、いつか人のいい夫婦が大きなステーションワゴンでやって来て自分の子どもたちを引き取っていくことを夢想しているような女性。退屈な日々を送っていた。そんなコージーが、子供をおいて夜、バーに行く。草むらを横切って、車に轢き殺されそうになって、店で男と出会う。彼女を轢き殺しそうになった男リーだ。リーの友人が道ばたで拳銃を拾い、それをリーは持っていた。バーで意気投合した二人は、プールのある家に侵入し、コージーが夜のプールで泳ぐ。そこで拳銃を触っているうちに、懐中電灯を持って現れた住人を撃ってしまうのだ。

そこから車での二人の逃亡劇が始まる。モーテルに何日も隠れ、金もないのでリーの実家の母親のレコードを売って金に換えようとしたりする。モーテルの部屋でゴキブリが出て大騒ぎして、拳銃で殺そうとする馬鹿な二人。緊迫感もない中で、だらだらの二人のやり取りが描かれる。リーの友人が拾った拳銃というのは、実はコージーの父親がなくした拳銃だった。刑事である父親は、自分の拳銃が使われたことなど調べて分るのだが、二人が撃ち殺したと思った住人は死んでいなかったのだ。二人は高速道路で町を出ようとするが、金が払えずに突破しようとするも警官に捕まりUターンさせられる。そして自分たちは殺人犯でも逃亡犯でもないことを知る。「殺人犯でもなければ何者でもない」混乱の中で、「一緒に暮らそう」などと言うリーのことが急に疎ましくなったコージーは、リーに向けて銃をぶっ放し、車から降ろしてしまう。カメラはリーが死んだのか、どうなったのかは一切映さない。コージーは車を一人で走らせ、銃を投げ捨て、どこかへ向かうところで映画は終わる。「気ままに旅をする」といった歌詞のジャズナンバーが流れるのだ。

ケリー・ライカートの映画は「旅」がひとつの重要なテーマとなっているような気がする。この退屈な日常から抜け出したいという欲望。フロリダの青い空と青い服と青い車。青い海を見ながらコージーは、これまでの人生をアルバムのように思い出しながら、どこかいつもうわの空だ。結局、殺人犯にも逃亡犯にもなれなかった彼女は、今さら退屈な日常を男と暮らして逆戻りするつもりはない。高速道路の先には何があるのか?どこかに向かうことしか彼女の未来はないのだろう。

カットを割らず、長回しを多用ながら撮る感じで、構図もそれほどこだわっているようでもない。自由気ままに人物たちを撮っていくスタイル。ケリー・ライカートのモヤモヤした思いが登場人物たちに仮託されているのだろう。


1994年製作/76分/アメリカ
原題または英題:River of Grass
配給:グッチーズ・フリースクール、シマフィルム

監督・脚本:ケリー・ライカート
製作:ケリー・ライカート、ジェシー・ハートマン
撮影:ジム・デノールト
美術:デイブ・ドーンバーグ
衣装:サラ・ジェーン・スロトニック
編集:ラリー・フェセンデン
音楽:ジョン・ヒル
キャスト:リサ・ボウマン、ラリー・フェセンデン、ディック・ラッセル、スタン・カプラン、マイケル・ブシェーミ
(C)1995 COZY PRODUCTIONS
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