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2025年06月30日14:49

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「風の中の牝鶏」小津安二郎〜階段落ちで戦争の影が描かれる異色作〜

小津安二郎には珍しい暴力的なシーンがある異色作だ。夫の佐野周二から妻の田中絹代が階段を突き落とされる転落シーンがあるのだ。田中絹代の転げ方がなかなかに凄まじい。田中絹代が頭から落ちていく様はちょっと映画史に残る迫力だろう。これで死んでしまってもいいぐらいだ。久しぶりに見たが、転げ方が凄いのでさぞかし強烈に突き落としたと思っていたが、佐野周二の押す力はそれほどでもないのだ。ちょっと押した程度だ。階段が狭く急だったので、後ろに頭から落ちていったということだ。だから暴力的なシーンというほどでもないのだと感じた。ただ、小津安二郎が戦争から帰ってきて撮った戦後二作目ということで、戦争の影が感じられて暗い映画だ。小津の映画の中でも、一番暗いのではないか。この作品と『東京暮色』(1957)が特に暗い。小津の映画は基本的にはコメディタッチであり、笑いとペーソス、反復を使って人間の可笑しさとその可笑しさの裏にある悲哀を描いている。しかし、この映画に笑いの要素は一切ない。特に戦争から帰ってきた佐野周二は終始暗く、闇を抱えているのだ。

2階に間借り生活をしている時子(田中絹代)は、幼い息子を抱え貧しい暮らしをしながら復員してくる夫・修一(佐野周二)の帰りを待ちわびていた。2階へ通じる狭い階段が何度も最初から映し出される。そう、この映画は階段こそが重要な舞台なのだ。時子は暮らしに困って、持っていた着物を友人の秋子(村田知栄子)に託し、同じアパートの織江(水上玲子)に金に換えてもらうのだった。織江は「時子さんはキレイだから、こんなことしなくてもいいのに・・・」と言って体を売って簡単に稼げることをほのめかす。あるとき、時子の息子が急性大腸カタルで倒れ、入院することになった。治療によって回復した息子だったが、時子は病院の支払いが出来ない。帰ってくる夫のために家財道具を売り払うことも躊躇われ、時子は一度限りの過ちを犯す。月島のいかがわしい部屋へ行って、男との時間を過ごしたのだった。映画では、そういった描写は一切描かれない。誰もいない部屋や布団、廊下だけが何度か映し出される。その家で客たちが麻雀しているシーンがあり、時子と関係したと思われる客が、「オレの方がいうことを聞かなかった」と、うまくいかなかったことを告げ、また「あの女とできないか?」と聞くと、「身持ちが固い人だから無理だ」と織江に言われるのだった。つまり時子は客と性交はしていないのだ。そういった直接的な描写がない代わりに、客たちの会話があり、部屋に戻った田中絹代の髪が乱れ、やつれた表情で自分の顔を鏡で見る場面が描かれ、鏡に映った顔が彼女に何かがあったと観客に分らせるのだ。そういった画面内に直接的に描くのではなく、画面の外で間接的な演出をするのが小津安二郎だ。

そして夫が帰ってきて、息子も喜び幸せな時間を過ごす時子だったが、息子が病気になったことを夫に告げると、「その金はどうしたんだ?」と聞かれて、つい本当のことを言ってしまうのだ。正面からの切り返し手法はこの映画でも頻繁に使われており、小津安二郎のカメラ割りの演出手法は1948年でほぼ出来上がっている。友人の秋子から「ご主人に息子さんの病気のことは言わない方がいい」と言われたのは、もう彼女が夫に告げた後だった。佐野周二は、仕事をしていても妻がしたことを考えモヤモヤが収まらない。田中絹代から売春宿の場所を聞き出し、そこへ行って女を呼ぶ。部屋にやっ来た女(文谷千代子)から、働けない父と小さい弟を養っているのだという事情を聞く。「こんな仕事を辞めろ、オレが仕事を探してきてやる」と女と話す佐野周二。女が持っていたおにぎりを食べながら、佐野周二と女が川の土手で話すこの場面がいい。狭い部屋や仕事場や売春宿など息苦しい空間がずっと描かれてきたのが、この場面は広い野原と空が広がっていている。戦争の闇や影、戻ってきてからの妻への苛立ちを抱えてきた佐野周二が、初めて穏やかな顔になる場面だ。同僚の笠智衆に女を雇えないかという相談をすると、「おかしいじゃないか。その女は許せて、どうして奥さんのことを許せないんだ」と問われる。佐野周二は「許しているんだ。だが気持ちが落ち着いてくれないんだ」と言うのだった。そして久しぶりに帰ってきた佐野周二に、田中絹代は「あなたにこんな思いをさせて」と泣きながら、「もう家から出て行かないで」とすがりつくのだが、そんな田中絹代を振り払うようにしたときに、階段から転落させてしまうのだ。

ラストは片足を引きずりながら歩く田中絹代の後ろ姿を見た佐野周二がそばに近寄って抱きかかえ、「どんなことがあっても信じ合える本当の夫婦になろう」と言って終わるのだ。ハッピーエンドではあるのだが、あまりにも陰鬱で暗い印象が強く、階段落ちが強烈な印象を与える映画だ。妻の売春と荒廃した戦後の現実、帰還した夫の戦争の暴力と陰鬱な影。敗戦後の混乱期の日本の家庭そのものが描かれているのかもしれない。笠智衆がさすがに若い。仕事場の窓の向こうの建物ではダンス教室があるのか、男女が抱き合って踊る影がいつも映っている。田中絹代が暮らすボロ家の向こうにあるガスタンクの鉄骨が何度も印象的に映し出される。戦後の復興と戦争の影が同居していた時代なのだろう。

タイトルの『風の中の牝鶏』とは、故事成語「牝鶏之晨」から来ているらしい。めんどりが夜明けの時を告げる意で、「女性が権力を振るうこと。また、女性が権力を握ると国家が滅亡するというたとえ。」という意味がある。女性が売春までして生活を支えざるをえなかった敗戦後の混乱を意味しているのだろう。

<追記>
階段転落シーンでどうしても気になるところがある。それは田中絹代が階段下に転落した後で、佐野周二が驚いて階段途中まで駆け下りるのだが、田中絹代のところまでは行かない。階段途中から「時子、大丈夫か?なんともないか?」と呼びかけるばかりで、助け起こすこともしない。そして大家の女性が帰ってきて、田中絹代は「そそっかしくて一人で落ちた」と言い訳をしながら、片足を引きずりながら自ら2階へと階段を昇っていくのだった。そして佐野周二は2階の部屋でそっぽを向いて座っているのだ。いくら仲違いしているとは言え、冷たすぎないか?この作品について、映画監督の黒沢清が「市井の民が戦争をどう乗り越えていくかをぎりぎりまで問い詰め、映画はついに一度死を経験しなければそれを成し遂げることはできないという結論に達する。その責任をひとり背負った田中絹代が壮絶だ。彼女を含め、夫も息子もだんだん死人に見えてくるところが凄まじい。」(「風の中の牝鶏 松竹映画100年の100選」HPの著名人のコメントより)とコメントしている。「夫も息子も死人に見えてくる」と言っているのだ。戦争から帰ってきた佐野周二が亡霊に見えると言うのだ。亡霊だから、1階へは降りれなかったと言うのか?田中絹代を助け起こすことをしなかったのか?面白い見方である。佐野周二の階段途中からの声かけの不自然さは、彼の自尊心や自責の念からという見方も出来るが、いずれにせよ戦争の影が彼を亡霊のように階段途中で棒立ちにさせているのだ。



1948年製作/82分/日本
配給:松竹

監督:小津安二郎
脚本:斎藤良輔、小津安二郎
製作:久保光三
撮影:厚田雄春
美術:浜田辰雄
音楽:伊藤宣二
録音:妹尾芳三郎
照明:磯野春雄
キャスト:佐野周二、田中絹代、笠智衆、村田知栄子、水上玲子、文谷千代子、東野英治郎、長船フジヨ、青木放屁、長尾敏之助、岡村文子、清水一郎、三井弘次、坂本武、谷よしの
☆☆☆☆4
(C)1948松竹株式会社
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