アラン・ギロティ監督作は『湖の見知らぬ男』など3本劇場公開されたが、この『ミゼリコルディア』がもっともクオリティが高いと思う。とてもよく出来た面白い作品だ。『湖の見知らぬ男』はゲイの世界の強烈な性描写で面食らったが、罪と愛についての人間同士の関係を森と湖を舞台に限定してシンプルに描いた作品であった。この作品も、とてもシンプルな田舎町での人間関係の物語で、罪と欲望と愛については同じテーマであるが、今回はセックスが描かれていない。あえてセックスを描かないことで、それぞれの欲望の絡まり合いが面白く描かれているのだ。
今回も「森」で事件が起きる。アラン・ギロティにとって、「森」は人間の性の欲望や迷いや暴力を表出させる特別な場所なのかもしれない。
車のフロントガラス越しの道の移動風景がしばらく続き、車はある田舎の家に辿りつく。南西フランスの丘陵地帯の村。ジェレミー(フェリックス・キシル)はかつて働いていたパン屋の親方の葬儀に参列するため帰郷した。親方の棺に土がかけらていく。この死体に土をかける動作がのちに繰り返されることになる。
未亡人マルティーヌ(カトリーヌ・フロ)の好意もあって、ジェレミーは数日間、彼女の家に滞在することにする。マルティーヌには、独立して所帯を持つ息子ヴァンサン(ジャン=バティスト・デュラン)がいるが、彼はジェレミーを森で手荒い歓迎をし、次第に目の敵にするようになる。ジェレミーが母マルティーヌを狙っていると疑い出すのだ。マルティーヌがジェレミーに好意を持っていることはなんとなくわかり(シャワーシーンなど)、ジェレミーは亡くなった親父さんにも惹かれていたことがわかる。古いアルバムを見ていて、マルティーヌに親父さんの写真が欲しいと言うのだ。その写真が水着姿で肌が露出された写真なのだ。アラン・ギロティの映画を見た人ならばすぐにピンとくる。ジェレミーはこのパン屋職人の夫婦に可愛がれつつ、秘かに親父さんに性的な欲望を持っていたということがわかる。
ジェレミーは旧友ワルター(ダビッド・アヤラ)の家を訪れ、酒を飲もうと誘うが「また今度」と断られる。この村でジェレミーという男が友人たちからどういう存在であったのかよく分からないが、歓迎されているようにも見えない。特にヴァンサンは、ジェレミーが親父さんの服を着て母のマルティーヌと二人っきりで実家にいるのが気に入らない。そして朝早く、まだ眠っているジェレミーの寝室に入り込み、「早く帰れ」と責め立てる。このジェレミーの寝室への早朝の侵入は、このあとも別の人物によって反復される。
あるときジェレミーはワルターの家で酒を飲み、彼の下着を着て欲情して彼の体に触れようとする。しかし突然のことに驚いたワルターに拒否され、猟銃で追い出される。このあたりの演出もゲイの監督ならではの巧さだ。ジェレミーの欲望は、亡くなった親父さんだけではなく、今度はワルターにも向けられる。その帰りの山道でヴァンサンに会い、森の中に連れて行かれ殴られる。二人は取っ組み合いの喧嘩になり、ジェレミーは怒りを制御できず、石でヴァンサンを殴って殺してしまうのだ。そして一人、穴を掘り森の中にヴァンサンを埋めて、彼の車を駅前まで運転し、どこか別の街にヴァンサンが行ったかのように見せかけ、朝方歩いて家まで帰ってくる。嘘をついて取り繕うジェレミーだったが、マルティーヌは息子が帰ってこないと心配し、ヴァンサンの妻も問い質す。警察がヴァンサンと会ってからの詳しい時間経過を問い詰め、森でヴァンサンの車の目撃情報もあり、次第にジェレミーへの疑いが強まっていく。そして森へと捜査が進んでいく。
そんなときにジェレミーを助けたのが、神父フィリップ(ジャック・ドゥブレイ)だった。神父はキノコ採りの名人でしばしば森の中でジェレミーと会っていた。いや神父はいつでもジェレミーを見つめていたのだ。そしてジェレミーがヴァンサンを殺して埋めたのも知っていた。神父はジェレミーに男性として性的な魅力を感じていたのだ。ここにも欲望がある。神父からジェレミーへの欲望の視線。『湖の見知らぬ男』と同じように、好きな男が殺人という罪を犯したことを知りながら、警察に知らせずに匿うのだ。教会で神父自らがジェレミーに告解するシーンがある。逆転する立場での罪と愛の告白。欲望と愛と許し(慈愛)。タイトルの「ミゼルコルディア」とは「Miséricorde(慈悲)」という意味のようだ。神父という立場でありながら、愛のために罪を許そうとする慈悲の心と個人的な欲望。神父はアリバイ工作のため、あの日の夜にジェレミーが自分と一緒にいた作り話を警察に証言し、その後も警察に疑われ裸で一緒にベッドに入って見せたりもする。そして性器を露出させるシーンまである。アリバイ工作をしながら神父の欲望が露わになる。
警察はあろうことか、ジェレミーの寝室に侵入して、「森のなかに死体を埋めたのか?」と寝ているジェレミーから聞き出そうとするのだ。村ならではの人物たちの距離の近さ。森にも寝室にも、神父や警察が突然現れ、ジェレミーの秘密を知ろうとする。
山の上から自殺をしようとしていたジェレミーを神父が思いとどまらせ、深夜に二人で森から墓地へとヴァンサンの死体を移動させる。死体を埋葬して始まったこの映画は、別の死体を移動してまた墓地に埋める。
マルティーヌが家にいるとき、なぜか「相撲中継」のテレビを見ている。小太りの男がアラン・ギロティの好みなのだろうか。『湖の見知らぬ男』でも小太りのアンリ(パトリック・ダスマサオ)という男が重要な役割で出てきたし、本作のワルター(ダビッド・アヤラ)も神父のフィリップ(ジャック・ドゥブレイ)も小太りだ。
最後は墓地にいるジェレミーを迎えに来たマルティーヌと家に戻り、ジェレミーが罪の苦しみからマルティーヌのベッドで一緒に眠らせて欲しいと頼む。同じベッドに入る二人。「身体をくっつけていい?」とジェレミーは頼むが、マルティーヌは「まだ早いわ」と言う。息子のヴァンサンが心配していた「母を狙っている」という憶測は、真実が含まれていたのかもしれない。マルティーヌはジェレミーに好意を持っていただろうし、ジェレミーはその好意を知って利用したようにも思える。そしてパン屋を継ぐことも目論んでいたのかもしれない。マルテイーヌのジェレミーへの欲望、ジェレミーの親父さんへの欲望と友人ワルターへの欲望、神父のジェレミーへの欲望。それぞれの欲望が形にならぬまま、それぞれの思いが交錯する。ジェレミーとヴァンサンの過去に何があったのか?映画は詳しく語らない。ヴァンサンもまた母ヘの欲望がジェレミーに母を奪われる憎しみとなり、事件が起きてしまった。小さな村のキノコが生える森の中で、それぞれの欲望が蠢いているのだ。そして誰もが秘かな欲望を抱えながら生きているのだ。
演出的に面白かったのは、そばに突然人がいることだ。ジェレミーの寝室に突然いるヴァンサンや警官。森に突然現れる神父や警官。山の上でも突然神父はジェレミーのそばにいる。こちらにやって来るカットをあえて撮らずに、いきなり話しかけてくる不気味さ。夜に車で村を去ろうとするジェレミーを止めるために神父がライトに照らされ突然現れる。それはいつも見ている欲望(執着)の視線があるからなのかもしれない。
2024年製作/103分/フランス
原題または英題:Misericordia
配給:サニーフィルム
監督・脚本:アラン・ギロディ
製作:シャルル・ジリベール
撮影:クレール・マトン
衣装:カディア・ゼガイ
美術:エマニュエル・デュプレ
編集:ジャン=クリストフ・イム
音楽:マルク・ベルダゲール
キャスト:フェリックス・キシル、カトリーヌ・フロ、ジャン=バティスト・デュラン、ダビッド・アヤラ、ジャック・ドゥブレイ、セルジュ・リシャール、タチアナ・スピバコバ、エリオ・ルネッタ、セバスチャン・ファグラン、サロメ・ロペス
☆☆☆☆☆5
(C)2024 CG Cinema / Scala Films / Arte France Cinema / Andergraun Films / Rosa Filmes
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