小津安二郎のカラー映画は6本ある。『彼岸花』(1958年)、『お早よう』(1959年)、『浮草』(1959年)、『秋日和』(1960年)、『小早川家の秋』(1961年)、『秋刀魚の味』(1962年)だ。小津はカメラマンの厚田雄春の助言を受けて、「色調が渋くて小津が好む赤の発色が良いアグファカラーを採用した」と言われている。
旅芸人一座の地方巡業の物語『浮草』を久しぶりに見直した。若尾文子が唯一、小津映画に出た映画であり、1934年に松竹蒲田撮影所で製作した『浮草物語』のセルフ・リメイク作品で、その『浮草物語』とも比較してみようと思ったのだ。
この映画は小津安二郎にとってちょっと異色な作品になっている。それはやはりカメラマン宮川一夫と組んだ唯一の作品だからであろう。宮川一夫の美しい構図と映像美がとにかく素晴らしい。なかでも有名なのが大雨の中で大喧嘩をする中村鴈治郎と京マチ子のシーンだ。豪雨が降りしきる中で、小さな道を挟んで対峙している二人。軒下に置かれた京マチ子の赤い傘がなんとも美しい。シンクロする二人の動きと罵り合い。京マチ子の少し乱れたれた髪がなんともいい。このシーンの前に映し出される杉村春子の庭の雨の中の赤い花も美しく燃えているようだ。小津安二郎の映画で大雨はあまり記憶にない。大雨と言えば黒澤明の『七人の侍』や『羅生門』をすぐに思い出す。激しい感情の激突や対立のドラマを好んで描かない小津映画にあっては、大雨は必要なかったのかもしれない。しかし、この作品での旅芸人一座の座長演じる中村鴈治郎は、度々激昂し、京マチ子や若尾文子をど突いたり叩いたりする親分肌の乱暴なアクションがあり、小津映画の登場人物としては珍しい。笠智衆に代表される無機的な相槌と身体的に抑制された演技こそ、小津映画の代名詞と言えるものだからである。中村鴈治郎の罵声を浴びせる演技と言い返す京マチ子の気の強さ、そして「大雨」が小津映画の異色な作品として際立たせている。
三重県の志摩半島の西南端にある小さな港町が舞台であり、前半は度々、「青」が特徴的に出てくる。白い灯台と青い海と空。瓦屋根と狭い路地の俯瞰。公演の色とりどりの幟。チンドン屋のように公演の宣伝しながら歩く旅役者たちとついて歩く子供たち。「暑い暑い」と言いながら、団扇を仰ぎ、汗を拭く。チラシを配りながら町の女たちを物色して回る三井弘次や田中春男。いつものテンポのいい斎藤高順の音楽が、小さな港町にやってきた旅芸人一座の非日常的な楽しい気分を盛り上げていく。快調な始まりだ。そしていそいそとこの港町の古くからの愛人である杉村春子のもとへと路地を歩いて行く中村鴈治郎。この中村鴈治郎が路地をいそいそと愛人のもとへと急ぐ姿は、『小早川家の秋』でも繰り返されている。扇子を片手にいそいそと歩く中村鴈治郎の姿は天下一品である。
こんなに青い色彩が強調されているのも、東京や鎌倉ではなく、地方の港町が舞台だからであろう。カラッとした暑い夏の港町の空気が感じられる。さらに「緑」の色彩も舞台関連の柱や衣装や壁や窓枠などのベース色として多く使われているのだが、なんといっても特徴的なのがアクセントとなる「赤」である。画面のあらゆるところに「赤」があるといっていいほど、アクセントとして赤い小道具が配置されている。それはオープニングの名前のクレジットにも赤文字がアクセントとしてデザインされているところからそうであり、杉村春子の庭にある大きな赤い花(ハゲイトウ?)、京マチ子の赤い傘だけではなく、飲み屋の赤と青の色ガラス、赤い帯、赤い団扇、赤い灰皿に消火器や赤いバケツ、火の用心の赤文字、提灯の赤い模様や赤い郵便受け、郵便局のマークに赤い自転車、路地の赤いサルビア、病院の赤いランプ、赤いバーの看板にかき氷にアイスキャンディー、赤い風呂敷・・・そして最後の列車の赤いテールランプ。数え上げたらきりがないほど画面のあらゆるところにアクセントの「赤」はある。特に暗い室内や夜の沈んだ色調のなかで「赤」があると、小さな炎のように「赤」が浮き立って見える。女たちの小さな心の火だろうか?この計算されつくした色彩設計こそが小津安二郎のこだわりであろう。さらに芝居小屋の場面での言い争いやキスシーンのあとに、紙吹雪がちらちらと落ちてく場面がある。芝居小屋が舞台となっているからこその風情だろう。
そして小津の特徴であるコメディ的要素も多い。床屋の娘の野添ひとみに言い寄った若い役者の田中春男が、髭剃りでお母さんに軽くあしらわれて次の場面で絆創膏を貼っていたリ、飲み屋の色っぽい酌婦・桜むつ子に目を付けた三井弘次が、もうひとりの不細工な酌婦・賀原夏子を潮万太郎に押し付けたり、三井弘次、潮万太郎、田中春男の3人組のやり取りがいろいろとコメディのアクセントになっている。舞台の幕の間から来ているお客を物色したり、海辺で「腹減ったなぁ」とボヤいて飛行機に向かって叫んだり、親方の金を盗んでトンズラする悪だくみの相談もコメディ的な仕掛けとして使われる。
物語の中心は、中村鴈治郎が公演の合間にいそいそと通う愛人の杉村春子と実の息子である川口浩との関係だ。実の父と知らない川口浩に自分のような浮草稼業ではないまともな教育を受けさせて立派な大人になって欲しいという親心から、中村鴈治郎はこれまで父としての立場を隠し、金を送り、何かと気にかけて可愛がってきた。そして休みには伯父さんとして二人で釣りに出かけたりしていた。そんな愛人と親子の事情を知った内縁の妻の京マチ子が、妹分の若尾文子に川口浩を誘惑するように仕向けるのだ。若尾文子が川口浩を夜の舞台小屋に呼び出し初めてのキスするシーンでは、川口浩の顔に照明を当てずに真っ黒にさせる場面がある。暗い廊下と白い着物の若尾文子と白いシャツの川口浩がキスするシーンも見事な光と影の演出になっている。そして落ちてくる紙吹雪。また海辺の陸に上がっている大きな船の底の赤い塗装がしてある前で、「もうお別れね」 「アカン。うちなんか相手にしたらアカンのや」と若尾文子が逃げながら、次の場面ではキスして抱き合う二人。まだあどけなさが残る若尾文子だが、「アカン」という言葉に色気が漂う。そしてキスしながらしっかりと川口浩の肩に手を回す仕草はこの後も繰り返される。ここでも船の赤が効果的な女の情念を表すのような色に見えてくる。また杉村春子の家も芝居小屋の楽屋も、2階への階段を昇り降りする動作が何度も繰り返され、階段が効果的に使われているし、鏡に向かって化粧をしながら話をする後ろからの横2ショットの場面も多い。正面からの切り返しも含めて、様々な人物たちの表情や仕草を巧みに切り取っている印象がある。
豪雨の中村鴈治郎と京マチ子の罵り合いの後、悪天候も続き、公演の客も入らなくなり、一座は三井弘次に金を持ち逃げされて解散せざるを得なくなる。そして寂しい宴が始まる。2階での宴会の歌声を聴きながら、『お早よう』にも出ていた名子役・島津雅彦が涙する見せ場もある。最後に中村鴈治郎が自ら父親だとの告白を聞いても、現代っ子である川口浩は、「そんなことだと思っていた」と驚きを見せない。かえって「今頃父親なんていらない。出て行ってくれ」と吐き捨てる。一時は、「息子(川口浩)とお芳(杉村春子)と親子3人でこの港町で暮らすか?」なんて言っていた中村鴈治郎だが、また旅回りの浮草稼業に逆戻り。「出直しや」と呟く。最後の駅の停車場で偶然一緒になった中村鴈治郎と京マチ子。先の見えなくなったこれからの人生に思いめぐらす二人のやり取りがいい。タバコの火をつける二人の演出。一緒に旅することに決めた京マチ子が椅子から立ち上がって弾むように桑名行きの切符を買う。ラストシーンの中村鴈治郎が手拭いを頭に乗せて、駅弁を楊枝でつまんで酒を飲む二人の列車のシーンがなんとも微笑ましく、ままならない人生の味わい深さが感じられる。やはり素晴らしい作品だと思う。
1959年製作/119分/日本
原題または英題:Floating Weeds
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
企画:松山英夫
製作:永田雅一
撮影:宮川一夫
美術:下河原友雄
音楽:斎藤高順
録音:須田武雄
照明:伊藤幸夫
キャスト:中村鴈治郎(2代目)、京マチ子、若尾文子、杉村春子、川口浩、笠智衆、野添ひとみ、浦辺粂子、三井弘次、潮万太郎、田中春男、桜むつ子、賀原夏子、伊達正、島津雅彦、中田勉、花布辰男、藤村善秋、丸井太郎、入江洋佑、星ひかる、宮島健一、高橋とよ、佐々木正時、丸山修、杉田康
☆☆☆☆☆5

KADOKAWA1959
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