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2025年05月10日16:11

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「片思い世界」土井裕泰〜閉じられたガラスの向こうで〜

この映画のレビューを書こうとすると、<ネタバレ>にならざるをえないので、<ネタバレ>を気にする方は映画を観てからお読みください。

またしても死者についての映画である。最近観た『BAUS 映画から船出した映画館』は「死者に光を当てる映画館」の話だったし、『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』もまた恋愛映画でありながら「死者がそこにいる」という映画だった。そしてこの映画はまさに、死者たちの閉じた異界、パラレルワールドを描いた映画だ。

死者たちを映像化する映画は多い。ホラーやオカルト、ゴーストもの。ほとんどの映画は、死者が幽霊となって現実の生者たちの世界に現れ、取り憑き、超常現象が起きたり、驚かし怖がらせ現実の秩序を脅かす。『エクソシスト』にしても、『リング』の貞子や『東海道四谷怪談』のお岩にしても、現実世界への未練や恨み、「残念」という念が現実世界に残っており、幽霊(悪魔)として現れ復讐する物語だ。あるいは、生者が死者の世界に迷い込む『異人たちとの夏』(山田太一原作)や『HOUSE』(大林宣彦)といった作品もあるし、現実世界と霊的世界の境界が曖昧になり惑わされるような『雨月物語』(溝口健二)のような作品もある。いずれにせよ、死者(幽霊)と生者が接点を持つことで、恐怖や混乱の物語が起こるのだ。一方、「A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー」(デヴィッド・ロウリー)のような霊がいるだけで驚かさない映画もあるし、死んだ者(天使や幽霊)の視点から現実世界に降りてくる『ベルリン・天使の詩』(ヴィム・ヴェンダース)や、死んだ者が生き返ってやり直そうとする『東京上空いらっしゃいませ』(相米慎二)のような作品もある。クリント・イーストウッドの『ヒア・アフター』では死の世界と交信する超能力者が出てきたし、『荒野のスレレンジャー』の流れ者のガンマンは幽霊のような存在だった。死者の世界の謎と興味は尽きない。

前置きが長くなってしまった。本作についてである。映画の中で幽霊となっている3人の女の子たちが、乱れた長い髪で白い服を着て現れる幽霊のオカルト映画を見ながら、「私たちこんなんじゃないよね。なんで髪長いんだろう?」なんて言っている場面がある。本作の幽霊たちは、お風呂にも入れるし、食事もするし、ラジオを聴き、ビデオ映画を見て泣き笑いもあり、成長もするのだ。現実の生活とまるで同じなのだ。12年前、合唱団を襲った殺人犯の凶行によって命を落とした少女3人組は、幽霊として過ごしながら同じ家に住み、柱のキズで身長が伸びていくのを計っていたのだ。朝起きて食事をとり、それぞれが会社へ、大学へ、水族館の仕事へ行くのだ。

ただ彼女たちは、誰からも見られていない。現実世界の人からは彼女たちの存在が見えない。しかし「いる」のだ。現実世界と同じ場所に。ただちょっとレイヤーがズレているだけ。人が落とした人形を拾うことができないし、ボールを触ることも出来ない。バスの乗り場で「開けてください」と扉を叩いても、誰も気づかない。誰かが遅れて乗り込む瞬間に一緒に乗ることしか出来ないのだ。ただ、人が彼女たちに当たってくると倒れたりしていた。彼女たちは生きている人の存在を見れるので感じられるのだろう。いずれにせよ、見ることは出来ても見られないし、触ることも出来ないのだ。現実世界に介入できない彼女たちは、赤ちゃんが車に閉じ込められていても、誰かに知らせることも出来ない。それでも彼女たちは必死に、車に閉じ込められた赤ちゃんの存在を町ゆく人々に呼びかける。そして偶然、気づいた人によって赤ちゃんは救われる。
 
この幽霊映画では、生者との接点がないのだ。生者を驚かすことも取り憑くことも出来ない。空の上から舞い降りることも出来ないし、彼女たちの世界に現実の誰かが迷い込むようなこともない。死者の異界は閉じているのだ。ただこの異界は、脚本家の坂元裕二がずっと考え続けているパラレルワールドである。近作『ファーストキス 1ST KISS』でも、「時間は過去から未来へと直線的に進むのではなく、過去も現在も未来もミルフィーユのように同時に存在している」という「時間のミルフィーユ論」がここでも描かれているのだ。彼女3人の死者たちの異界は、現実世界のすぐ隣に、位相がちょとだけズレてそこにある。「死者はいつでもすぐそばにいる」という考え方の実践であり、映像化なのだ。

ただ閉じた3人の世界だけでは物語にならない。現実世界との接点を映画は描こうとする。親などの家庭環境に問題がある美咲(広瀬すず)は、いちばん現実世界に戻りたくない存在だ。それは現実が貧しく不幸だったから。彼女は3人で幽霊としている方が幸せなのかもしれない。それでも典真(横浜流星)とバスで出会い、少女時代に書いた音楽劇の台本を典真に読んでもらったことで、現実との奇跡的な交感が生まれる。優花(杉咲花)は、母親を見つけ、彼女の再婚と妹とのその後の生活の現実を知る。そしてさくら(清原果耶)は、自分たちを殺した犯人が出所してきたことを知り、その男に会いに行く。そして優花の母(西田尚美)が犯人に会いに行った場面に3人は立ち会い、「三日月のクッキー」を効果的に使いながら、母親の亡くなった娘(杉咲花)へ変わらぬ思いを知る。

3人は死んだ者が生き返ったラジオのメッセージを頼りに、もう一度現実世界に戻ろうとするのだが、その夢は叶わない。そして住み慣れた家が現実世界で改築されるのを機に別の居場所を求めて旅立つ場面で終わる。

現実世界のすぐ隣のレイヤーで過ごしていながら、現実世界に触れることが出来ないもどかしさ描かれる本作は、他者に分かってもらえない苦しさが描かれている。少女の時に襲われた時も建物の扉は閉められガラス窓から3人だけ隔てられ、ただ自分が担架に運ばれていくのを眺めるだけだ。そして車に閉じ込められた赤ちゃんも、優花の母(西田尚美)が犯人に再び殺されそうになったときも、彼女たち3人は車の外で騒ぐばかりで何も出来ない。見ることが出来ても触れない透明なガラスで隔てられた世界が、彼女たちの世界なのだ。私のことを見て、私のことを思ってと願っていても、相手には伝わらず、通じ合えない。

三日月のクッキー、合唱曲、歌の鎮魂、音楽劇の台詞の掛け合い、バスの揺れの同調など、死者と生者の交感や同期などは描かれていて面白いのだが、生者との接点が無いことが映画を3人だけの閉じたものにしている。3人で十分楽しそうなのだ。一方通行でしかない閉じられた世界の哀しみや思いは、風に乗って誰かに届くのだろうか?そのあたりをもう少し感じられればせつなさが増したように思うのだが・・・。

『BAUS 映画から船出した映画館』では鈴木慶一が役者として出ていたが、本作では路上ミュージシャンとしてmoonridersが出ていたのが嬉しかった。

ちなみにこの映画の撮影中、スタッフが交通事故に遭ったそうだ。それで撮影スケジュールも変更になり、公開も遅れたそうだ。理不尽なことは突然やって来る。そんなフィクションと現実の交錯する怖さも感じる。


2025年製作/126分/G/日本
配給:東京テアトル、リトルモア

監督:土井裕泰
脚本:坂元裕二
企画:孫家邦、菊地美世志、那須田淳
プロデューサー:土井智生、伊達真人
撮影:鎌苅洋一、小林拓
照明:秋山恵二郎
録音:加藤大和
美術:原田満生、佐久嶋依里
装飾:石上淳一
VFXプロデューサー:赤羽智史
特機:実原康之
編集:穗垣順之助
音楽:鈴木慶一
特別協力:杉並児童合唱団
キャスト:広瀬すず、杉咲花、清原果耶、横浜流星、小野花梨、伊島空、moonriders、田口トモロヲ、西田尚美
☆☆☆3

(C)2025「片思い世界」製作委員会
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