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2025年04月17日21:40

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『HERE時を越えて』ロバート・ゼメキス〜この映画は何を目指したのか?空間に積み重なる時間〜

ロバート・ゼメキス監督でトム・ハンクス主演。『フォレスト・ガンプ 一期一会』コンビの30年ぶりの復活と言うことで話題になったが、評判はあまりパッとしない。観てみると、かなり無謀なことをやっている実験作である。「地球上のある地点にカメラが固定され、その場所に暮らす幾世代もの家族が交差して描かれる愛と喪失、記憶と希望の物語」なのだ。カメラは固定。それはまるで映画誕生のリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフのように、カメラはパンもしなければズームもしない。引きの画面のみ。だからカメラに近づかないと顔のアップも撮れない。基本的にはロングショットがほとんどである。しかも部屋のリビングルーム。もちろん、幾世代もの家族が交差するし、いろいろな人物は出てくるし、時代は変遷する。恐竜が駆け回る太古の昔から始まり、緑が芽吹き、木は成長し、ハチドリが飛び、先住民族の男女が出会い、木が伐採され、1907年に一軒の家が建つ。そしてこの家のリビングがずっと変わらぬ舞台となるのだ。

カメラを移動させないで同じ場所から時間を越えて描く物語。時間が持続しないで、いろんな時代が行ったり来たり、前後して飛ぶのだ。だからエピソードの羅列にしかならない。物語が続いていかないのだ。だから観客は物語に没入出来ない。後半は、ある夫婦の物語に着地させてジワッとさせるのだが、その夫婦(家族)の人生を描くならこんな不自由な手法を使う必要は無い。様々な時空間を撮って、編集して、感動的な物語を構築すればいいのだ。それをあえてしない映画なのだから、無謀なのである。VFX技術を使って自在に時間を移動させるのだが、基本的には同じリビングルームである。それを飽きさせずに104分の物語にすることに無理があるのだ。では、この映画は何を目指したのか?

カメラにはフレームの制約があり、フレームの外の時空間は描けない。それはリュミエール以来変わらぬ制約である。だからいろんな場所の映像を撮影し、それを編集でつなぎ合わせ物語を自在に構築する。ただ世界のすべては描けない。限られたフレーム、限られた時空間を組み合わせ、時間を編集してフィクションの世界が出来上がる。フレームの制約から始まり、フレームの外に広がる自由な世界を想像させて、フィクションを作るのだ。

人間もまた空間に制約されて生きている。同時に別の空間には居られないし、時間を飛び越えることもできない。いられるのは一つの場所だ。空間の制約とは、生きる時間の制約でもある。ある程度、家だったり、場所だったり、ホーム、都市や村、故郷に制約されて生きている。自在に動くことは出来るのだが、場所に閉じ込められることもある。生きる場所を次々と変えることは流浪の民となるし、彷徨える人になる。だから、安らぐ居場所や帰る場所を人は求めるし、ホームはあったほうがいい。家庭、ホーム。しかし、たびたびその居場所が呪縛になるときもある。自由になれなくなるのだ。

日本の伝統芸能の能の世界は、「シテ」と「ワキ」という役割で展開される。

夢幻能のシテは、たとえば神様、たとえば幽霊、たとえば動植物の幽霊など、本来は不可視の存在です。この世のものではない。その、この世のものではないシテを、この世に呼び出す、それがワキの役割です。
ワキがこのようなことができるのは、この世とあの世の「あはひ」に生きる者だからです。ワキという語は「分く」の連用形、すなわちふたつの世界の「あはひ=境界」が原義です。ワキは、死者と生者とのあはひ、神と人とのあはひに生きる者です。
あわひに生きるワキには定住地はありません。多くが漂泊の旅人です。それに対して、シテはその土地に鎮座まします神霊であったり、あるいは念を残した(残念)まま亡くなり、その地に宿った幽霊であったりします。ですから能の幽霊は、あまり移動しません。「残念」を抱えたままその地に留まり、念い(おもい)を解き放ってくれる旅人の通過を待ちます。  
 (『「うた」で読む日本のすごい古典』より 安田登)

空間に呪縛され超越した時間のなかにいるシテと、放浪して空間を彷徨うワキとが出会うドラマが能なのである。

場所に呪縛されて生きることになるドラマは多い。吉田喜重の『秋津温泉』の岡田茉莉子は、秋津温泉という場所に呪縛されて生きた女の物語だ。増村保造の『清作の妻』も、閉鎖的な村社会に呪縛された男女の物語だった。デヴィット・ロウリーの『A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー』もまさに家に取り憑く幽霊の話だったし、大林宣彦の『HOUSE』なんていう家そのもののホラーファンタジーもあった。

最近観た坂元裕二脚本の『ファーストキス 1ST KISS』はタイプスリップ映画で「時間はミルフィーユだ」という表現があった。「時間は過去から未来へと直線的に進むのではなく、過去も現在も未来もミルフィーユのように同時に存在している。」という考え方が示される。この「時間のミルフィーユ」はこの映画にも通じるものだ。このリビング空間には様々な時間がミルフィーユのように積み重なっている。

直線的な時間に私たちは縛られすぎなのかもしれない。空間の中にさまざまな時間が積み重なっていること、それを想像し感じること。死者も過去の自分もかつての思い出も同じ空間の中で積み重なっている。空間の中の限定性のなかで、別の時間の広がり、別の時空間の広がりを感じること。

出会いがあり、別れがあり、ケンカがあり、愛があり、子供が生まれ、育ち、老いと死がある。ソファやテーブル、椅子やテレビ、クリスマスツリーやパーティー。そこでの食事があり、愛があり、祝い事があり、祝福があり、諍いがあり、誰かは出ていき、誰かは留まる。あるときは呪縛となるし、安住できる思い出深い場所にもなる。そして老いて記憶が曖昧になり、死がある。変わらぬ窓からの景色と暖炉。さまざまな出来事が時間とともにこの空間に積み重なっていく。そう考えると、この映画のリビング空間が味わい深いものになってくる。

空間の限定性から、時間を越えて想像力をめぐらすこと。空間の外、時間の外に広がる限りない膨大な時空間的世界。幽霊ものやタイムスリップもの、能の世界も、そんな空間の限定を超えて広がる時間を表現してきた。この作品も空間の限定性と時間の広がりを固定カメラで表現したものだ。そんなことを考えさせる映画と捉えれば、このVFXの実験作も楽しめるのではないだろうか。


2024年製作/104分/G/アメリカ
原題または英題:Here
配給:キノフィルムズ

監督:ロバート・ゼメキス
製作:ロバート・ゼメキス、デレク・ホーグ、ジャック・ラプケ、ビル・ブロック
製作総指揮:ジェレミー・ジョンズ、アンドリュー・ゴロフ トム・ザドラ
原作:リチャード・マグワイア
脚本:エリック・ロス、ロバート・ゼメキス
撮影:ドン・バージェス
美術:アシュリー・ラモント
衣装:ジョアンナ・ジョンストン
編集:ジェシー・ゴールドスミス
音楽:アラン・シルベストリ
音楽監修:ジョエル・シル
視覚効果監修:ケビン・ベイリー
キャスト:トム・ハンクス、ロビン・ライト、ポール・ベタニー、ケリー・ライリー、ミシェル・ドッカリー
☆☆☆3

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