メロドラマの傑作と言えば、成瀬巳喜男の『浮雲』(1955)、『乱れる』(1964)、『乱れ雲』(1967)、溝口健二の『近松物語』(1954)など男女の悲恋を描いた作品はいろいろあるが、この『秋津温泉』もまた吉田喜重のまぎれもないメロドラマの傑作である。吉田喜重監督作品は若い頃にいくつか見たが、難解な作品も多く、もう一度見直さなければいけない監督だと思っている。篠田正浩の松竹ヌーヴェルヴァーグつながりで、吉田喜重のこの映画をまずは見たいと思って見た。
美しき岡田茉莉子の魅力が詰まった代表作と言えるだろう。明るくよく笑う若き頃の快活な女性の新子から始まり、戦争に負けたことで泣き喚き、長門裕之から心中を迫られて死の直前で笑い転げでしまった「生きることの溌剌さ」そのもののを体現している女性から、戦後、秋津荘を女将として守り続け、長門裕之を待ち続けた末に2人はすれ違いズレていく。そして彼が結婚した後に道ならぬ恋に踏み込み、女としての悦びに目覚め、そしてその恋も喪失していった挙げ句に秋津荘も失い、表情を失っていき、死の世界に踏み出して行かざるを得なかった哀しい女の一生の時代ごとの変化を見事に演じている。「生」の世界から「死」の世界へと真逆のベクトルへと変化していく女。
秋津温泉という場所に封じ込められた女は、山奥の川沿いの温泉街=死の世界の入り口にいる女である。いつかこの世界から抜け出させてくれる男を待っていた。そして死に場所を求めて秋津温泉に結核という病気を抱えてやって来た周作(長門裕之)を、新子は死の世界から救い出し、一緒にこの地を離れて生きていくはずだった。敗戦後というタイミングで。ところが周作は、この地を離れると文学仲間と酒浸りの自堕落な生活を送ることしか出来なかった。そして三年後、また秋津温泉に舞い戻ってきた周作は「新子に心中してくれ」と頼むのだった。一度は心中を試みるも、新子は死の世界とは相容れぬ「生の人間」だった。周作は新子を置き去りにして再び一人で帰って行った。新子はこの地から周作に救い出してもらうはずだったのに。岡山で文学仲間の松宮(宇野重吉)の妹晴枝(中村雅子)と結婚した周作は、そのことを告げるため再び秋津にやって来る。雪の中で喜び急いで宿に帰る新子だったが、周作は酒に酔って芸者遊びすることしか出来ないだらしのない男。新子は周作を待ち続けつつも何も出来なかった。「私に残ったのは、秋津荘だけね」と呟く。二人が出会って10年目、4度目にやって来た周作は仕事で東京に行くことになり、新子に最後の別れを告げに来たのだ。秋津荘の女将としてすっかり大人の女性になった新子は、その夜酔い潰れて、二人は男女の関係を持ってしまう。翌日、知らぬ間にいなくなろうとする周作を追いかけて、新子はバスに乗り、津山駅まで一緒に来てまた旅館で一夜をともにするのだった。この時、岡田茉莉子の女性としての魅力が全開になる。新子は好きな男と一緒になれたことで、女としての悦びに目覚め、周作のまわりを弾むように歩き、束の間の逢瀬を楽しむ。津山の高台の桜が咲く丘で、周作の手を引っ張り、振り返り、腕を組み、後を追いすがり、また先に歩き、振り返る。そして東京へ帰ろうとする周作を駅から連れ出して旅館の部屋に入ると、今度は周作から逃げる。何度も逃げながら、周作は新子を抱きしめる。この旅館の部屋の2人の動きの描写がまた見事な演出だ。そして翌日の駅のホームでの別れ。この離れがたく愛し合う一連の2人の描写はまさにこの映画の名場面になっている。
昭和37年、周作は41歳。都会生活にそれなりに慣れた周作は、女とも適当に遊びつつ、くだらない男に成り果てていた。そして流行作家となった松宮の取材旅行の随行員として5度目の秋津にやって来るのだ。その時、新子は秋津荘は手放していて、母親も死んで孤独に暮らしていた。二人は静かに酒を飲んで、新子は周作に抱かれるのだが、無表情なままだ。今度は新子が「一緒に死んで」と周作に言うのだった。翌日、周作は「何を言うのだ?」と言う表情で、新子の思いを無視して帰ろうとすると、新子は桜の木の下で手首を切って、石の断崖を河辺へと降りていき果てるのだった。あの津山の高台を喜びに満ちて歩いた桜と、死を選んだ秋津の川辺の桜の対照性。
病気が治った周作と新子が最初に山あいを歩きながら二人で過ごす場面、新子は周作の行方を捜して何度も「周作さん」と名前を呼ぶ。周作もまた何度でも呼んで欲しいと言い、新子は山の上から「周作さん」と叫ぶ場面があった。また周作も何度も秋津温泉を訪れながら、「新子さん」と彼女の名前を呼ぶ。これだけ2人の名前が映画の中で飛び交う映画も珍しい。溝口健二の『近松物語』で、香川京子が「茂兵衛 、茂兵衛」と長谷川一夫のことを何度も呼ぶのを思い出した。
戦争の「破壊と死」から始まるこの映画、言うまでもなく「死」が世界を覆っている。その「死」の世界から抜け出すために戦後があったはずなのだが、戦後の世界もまた虚無的な自堕落な日々でしかなかった。そんな自堕落な戦後を描きつつ、山奥にひっそりと佇む秋津温泉に来て「死」から再生した男が、何度もこの地を訪れるにつれて、生も死も見失い、時代から取り残されるようにこの地で待ち続けた女は、この地とともに「生」から「死」の世界へと堕ちていった。男は戦後の自堕落な日々の中で、再生された「生」をも見失い、「死」すらも考えられないようになった。
戦争中の学生の時に初めて周作が秋津荘にやってきて、旅館は軍人の出征祝いで賑やかで、女中部屋に押し込められて結核の咳で苦しんでいたとき、旅館の娘の新子が部屋に入ってくる場面がある。そのシーンでは、女中部屋には鏡がいくつもあり、新子の顔が何度も鏡に映し出されるのだ。「鏡」は吉田喜重の重要なモチーフであり、この映画の2人の最初の出会いのシーンで鏡の部屋として特別な空間を作り出していた。新子の乱反射だ。それは病に侵された周作にとっては、「生」の乱反射でもあったのか。さらに秋津温泉の行き帰りで何度も出てくる川を渡る「橋」、そして2人の距離を表現する温泉旅館の離れに通じる長い「渡り廊下」も印象的に使われている。離れは新子がいる場所であり、その場所へ通じる「渡り廊下」は、2人の距離そのものなのだ。さらに格子戸を挟んでの2人の会話、ガラス戸や障子に映る新子のシルエット。そして何よりも「川」が死の世界を意味する場所として、秋津温泉に横たわっている。「川」に降りていくことそのものが「死」であったのだ。一方で、最初の2人のデートシーンである山あいや、初めて男女の仲になった翌日の津山の町の桜が咲く高台は、明るく愛と希望に満ちた空間として描かれている。「死」の周辺を彷徨って堕落して、「生」も「死」も忘れていくばかりの長門裕之のダメ男ぶりと、待ち続けた挙げ句に「死」を選ぶしかなかった岡田茉莉子の女の哀しみが強く印象に残る映画だった。
1962年製作/112分/日本
配給:松竹
監督・脚色:吉田喜重
原作:藤原審爾
企画:岡田茉莉子
製作:白井昌夫
撮影:成島東一郎
美術:浜田辰雄
音楽:林光
録音:吉田庄太郎
照明:田村晃雄
編集:杉原よ志
キャスト:岡田茉莉子、長門裕之、日高澄子、殿山泰司、中村雅子、戸辺みさ江、宇野重吉、小夜福子、神山繁、小池朝雄、名古屋章、東野英治郎、吉川満子、夏川かほる、芳村真理、山村聰、辻伊万里、吉田雅利、下元勉、草薙幸二郎、高杉祐児、田口計、遠山文雄、清川虹子、西村晃、チャーリー黒沢、葵京子、宮嶋安芸男、高橋とよ、千之赫子、桜むつ子、岡乃桃子、富士野みか、鶴丸睦彦、穂積隆信、福岡正剛、吉田輝雄
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写真(C)1962松竹株式会社
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