歌舞伎役者の2代目・尾上菊之助の悲恋をつづった村松梢風の同名小説を映画化した溝口健二の芸道ものの傑作。
音の設計が見事だ。いつも音が複層的に使われている。台詞のバックでは、三味線の演奏や唄が聞こえていたり、子守歌や拍子木、街中の様々な物売りの声、カエルやフクロウなどの鳴き声、囃子や鉦や太鼓の音などなど・・・。いつも台詞のバックで音が効果的、意図的に挿入されている。
そして見事に立体的な舞台の楽屋裏のセットをクレーンショットで移動しながらのワンシーンの長回し。さらに、柳橋の料亭からの帰り道の菊之助(花柳章太郎)と寝付かない赤ちゃんを子守するお徳(森赫子)の夜の歩きシーンの移動撮影。お徳の顔はアオリ気味のロングショットなのでよく分からない。ただ、乳母に過ぎない女性なのにしっかりと菊之助の芝居のことを指摘することに観客は驚く。ちゃんとした意見を持った「声の人」として登場する。そして、こんな夜中なのになぜか風鈴売りが現れ、風鈴を買うシーンなど二人にとって特別な夜であることを印象づける。そして花火の人々の賑わいと対照的に台所で二人でスイカを切って食べるシーン。「ずっとお芝居を観て若旦那を支え続けます」とお徳が言い、若旦那との二人の距離が近づいたと思ったら、家の者たちが花火から帰ってきて、そのおしゃべりが二人を見てピタリと止まる。その沈黙の気まずい間合い。二人の距離はすぐにまた離れる。さらにお徳がお義母さんに暇を出されるシーンでは、カメラがお徳の後ろから義母を捉えたショットから、新しい乳母へとパンをしながらラインを越えて逆の位置へとカメラが移動する場面もある。カメラが回り込んでもお徳は横顔でほとんど見えない。「菊之助とはそんな関係ではない」とキッパリ否定するお徳だが、顔は正面から撮られない。やはり「声の人」である。カメラは全編ほとんど引いたサイズで、クレーンなどで移動しながら登場人物たちを動かし、舞台のように捉え続ける。顔のヨリの切り返しはほとんどない。カットがいつも長いので、役者たちも舞台で芝居をしているような緊張感だろう。
5代目・尾上菊五郎の養子とし歌舞伎役者と期待され、甘やかされて育った菊之助は、自分の芸の未熟さを率直に指摘してくれる弟の乳母・お徳に恋心を抱く。ところが、ふたりの身分違いの恋に周囲に猛反対される悲恋ものである。菊之助はお徳との仲を裂かれ、家を飛び出して大阪へやって来た。菊之助のことが気になって一年後に大阪までやって来たお徳。菊之助の役者稼業はまだ人気になるところまでいってない。そして二人は家の狭い2階で暮らすようになる。「若旦那」とずっと言っていたお徳が、菊之助へのプレゼントである鏡台が届いたとき、階段の下から「ちょっと、あなた」と菊之助を呼びかけるシーンがある。顔を正面から映されない「声の人」であり続けたお徳が、初めて階段の下から明るい声で「あなた」と呼びかける場面は、二人が夫婦になった喜びが表現されている。この映画で、お徳の唯一の笑顔ではないだろうか。
しかしまだまだ二人の試練は続く。菊之助は大阪で芝居が続けられなくなり、地方のドサ廻りの旅公演の旅役者まで落ちぶれていく。そして菊之助の気持ちが荒んでいき、遊ぶ金欲しさで二人の間での諍いも描かれる。旅公演が続けられなくなり、女相撲の興行が始まるからと、舞台を壊される場面は菊之助の人生のどん底を示す。そしてさらに4年後、名古屋に流れ着いた二人にチャンスが来る。東京歌舞伎の一座が興行にやって来るのだ。体調が悪いにも関わらず、お徳は一人で昔の菊之助の仲間の中村福助(高田浩吉)に歌舞伎に菊之助を出してくれるよう頼みに行くのだ。しかし、お徳に「いい演技であったならば、身を引いてくれ。」と条件を出す。そして急遽、菊之助が出演した舞台は大成功。お徳はそんな舞台を心配で観ていられず、楽屋の裏で一人祈るように佇む。そのシルエット。晴れて、菊之助の芝居が認められ一行は東京へ。しかし、その列車にお徳の姿はない。
父・菊五郎は菊之助の帰還を喜び、父子共演の東京の大舞台も大喝采。父からお徳とのことを許され、晴れて妻に出来ることになるのだが、その時お徳は病に伏していた。菊之助が会いに行くと、お徳も「世間晴れて、あなたと呼んでも構わないんですね、あなた…」と呼んで喜ぶ。そして一座の面々が船に乗り込み、掘を巡ってパレードする「船乗り込み」から始まるから「行ってらっしゃい」菊之助を送り出す。道頓堀の水辺に屋形船を浮かべて、集まった客たちに挨拶する菊之助の晴れ姿と、死の床にいるお徳の映像がクロスカッティングされる。溝口健二監督お得意の「水辺の死」のイメージがお徳の死を招きよせる。華やかな船のパレードとともに、お徳はひっそりと息を引き取る。
演出的にはカメラのフレームの外の使い方が上手い。菊之助が父の菊五郎とお徳のことで対立して家を出て行く場面、画面のフレームからあえて外したやり取りにして、画面に映らないまま菊之助が家を出て行ったり、後半で、お徳が菊之助を芝居に出すことを頼みに行った場面で、フレームから外れたところから「よし、出そう」という声が聞こえてきたりする。フレームの外であえて映さなかったり、カメラのフレームの外側を巧みに使いながら人物たちを描いているところも見事だった。
東京に戻ってきた菊之助がお徳が面倒を見ていた赤子の弟が大きくなっているのを見てお徳のことを思い出し、花火の夜に二人でスイカを切ったアクションは、祝いの準備をする台所でお供えの餅を切るアクションとして反復され、イメージで重ねられる。細部にまで見事な溝口健二の演出が詰まった作品だ。
1939年製作/142分/日本
配給:松竹京都
監督:溝口健二
原作:村松梢風
脚本:依田義賢
構成 川口松太郎
製作総指揮:白井信太郎
音楽:深井史郎
撮影 :三木滋人、藤洋三
編集:河東與志
キャスト:花柳章太郎、森赫子、高田浩吉、伏見信子、梅村蓉子
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