南こうせつ、本名ですが名前を平仮名にしています。どうしてそうしたのか、それが今回の話です。
売れたくて歌をはじめたはじめてのフォーク歌手、南こうせつは、故郷の大分から東京に出てくる口実に明治学院に入った。けれど口実だから、南は学校にはほとんど行かない。せっせと曲を作り同時にプロダクションに入った。そうすると少し順路が曲がってくる。プロダクションが進めたのは、
「売れるには知名度、そのためには全日本歌謡選手権に出るのがいいんじゃないか。それで行こー」
となった。全日本歌謡選手権は当時の人気音楽番組だった。ただし演歌系。他流試合で目指せ10人抜き、というわけだ。
当時の持ち歌はタイトルからしてすごい。「酔いどれかぐや姫」であります。後のかぐや姫とはとても結びつかない。
ここでのかぐや姫は本物の竹から生まれたかぐや姫のこと。それがどうしたことか、歌の中のかぐや姫は故郷の月を懐かしんで空を見上げ、サビのところで声高く「ワオーン」と叫ぶという、ま、キワモノ真っ盛りの歌です。鉢巻きをして歌っている姿に、ぼくなどは呆気にとられポカンとしたものだった。
だってねぇ、出からすごいから、演歌と演歌の間に鉢巻きをしたフォークが宝船みたいのに乗って舞台に出てくるんだよ。
まさしくキテレツ大行進なのだが、変わった曲調、歌のうまさもあって4週まで勝ち上がった。そこで超辛口の竹中労だ。辛い。
「あんたたらねぇ、フォークをやりたいならここじゃダメだろう」
ガーン。そりゃあ、そうだ。
ここで全日本歌謡選手権を辞退して、考え直した。
「チームを組みなおそう」
高校の後輩、伊勢正三を呼び込み、山田パンダをスカウトし第二次かぐや姫を結成する。
一から出直しということで合宿に入る。そこは結構な田舎で、長い時間の合宿練習だ。近所のおばあちゃんたちにも評判になる。
「あんたらなんの仕事してんの」
と聴いてくる。そりゃあ聴くはな。
「えー、あのー、あたしたち歌手です」
とレコードを見せた。
「ほう、レコードあんのか。フーン、
そしたらこの『なんこうぶし』っていうの聴かせてもらえるか」
なんとジャケットの真ん中には南高節と、本名が漢字で大きく書いてあった。
「あー、そうかあ」
ということで南こうせつという平仮名混じりになったのです。(さらに進むとかぐや姫だけで南こうせつもなくなります)
この話、徹子さんが「徹子の部屋」で『なんこうぶし』と読んだという説がありますが、南が「おばあちゃん話」を徹子さんに説明している様子を見ています。なので「徹子はじまり説」はありえません。
「あなた、喧嘩が強いんですてっね」
突然、徹子さんが言い出した。
これには、こうせつは驚いた。
「いやぁそんなことありませんよ。そりゃぁ、逃げ出したりはしませんが。普通ですよ」
やや汗ばんで、もっとかな、汗かき状態になったこうせつ、メガネを外し、頭の上にかざして喋っていた。
「あなた、喧嘩するときまずメガネをとるんですってね。その格好ね」
実は南こうせつは、フォーク界最強の伝説の男です。ですが徹子さんに話を振られて、この一発でダウンでした。
○
「神田川」という伝説:
「演歌の竜」こと馬渕玄三が言う。
「これは歴史的名作になるだろう。これをシングル盤として出さなかったら、会社の恥になる」
「神田川」が企画会議に上った時に馬渕玄三は、押し黙っている一同を前に平然と意見を述べる。
静まり返っている。まだ経営の進路も定かでない新興のレコード会社の企画会議だった。ほぼ全員の息が詰まっていた。
けれど答えは素晴らしいものだった。リリースすると、
「赤い手拭い マフラーにして」のフレーズは数日で日本中にあふれ出した。
数ある歌謡曲の成功伝説の中で、これが一番美しいものだろう。
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