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2022年04月28日15:39

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自分の命は自分のもの?(養老孟)��

ネットの記事を読んでいたら、養老先生の「死にたがる脳」についてのコラムが目に留まった。コロナ禍で若い人たちの自殺が増えているのはなぜか?という話題だ。

「人はなぜ、自分の命を自分のものと思い込むのか?」という設問がある。養老先生が言うには、「日本の伝統的な考え方には、自己という概念がない。日本の子どもたちはアメリカの子どもたちと違って、自分の人生を自分で選択したり、自分で決定したりすることを好まない。しかし、西洋の考え方が導入された現代社会を生きる親たちは、子どもたちに「個性を伸ばせ」「自己実現せよ」と求める――。このような自己の問題は、日本人が明治維新以来抱えているストレスである。」と書く。

西洋が「I(アイ=私)」を必要とするのは、一神教の世界には「最後の審判」があり、全員が神様の前に出て裁きを受けるから。だから「過去から一貫している自分がないといけない。」
しかし、「生まれてから死ぬまで一貫した私」など、明治時以降に導入された西欧的自我の考え方であり、幻想でしかないのだ。日々細胞は生まれ変わり、この世に「同じもの」など一つもない…とは福岡伸一もよく言っている。「昨日の私」と「今日は私」は別なものだし、「同じ」とする考えは「概念」でしかない。いわば「脳化された社会」である。概念は「un apple」であり、「the apple」ではない。感覚的身体的世界では、それぞれ別々のリンゴである。「脳化された社会」が身体や感覚を抑圧している状態が、現代グローバリズム社会であり、そのストレスが身体的感覚的存在である子供に強いストレスを与えている・・・というのが養老先生の考えである。

「自分の命を自分のもの」と考える思想においては、宗教(キリスト教)で自殺を禁止してやめさせていた。仏教は、自己がないのが大前提。仏教の基本的な考え方は「縁起」。「すべての存在は、無数の縁によって結ばれている」。裏を返せば、「普遍的、固定的実体は、何一つない」ということ。つまり、ずっと変わらないものは何もない。

命はもらったもの。別に自分で稼いで、生まれてきたわけではない。「自分の命は、自分のもの」という考え方には、根拠がない。戦前はまだ、命は自分のものではないというのが基本的な考え方だった。儒教的倫理、「人の身体はすべて父母からもらったものだから、傷つけないようにするのが孝行の始まり」という親孝行の考えが自殺の歯止めになっていた。現代の日本には「自分の体は自分のもの」という西欧的自我が意識化され、主体的に考えられない日本的伝統と齟齬が生じ、ストレスが生まれ、「自殺を止める思想がない」のが現状なのだ。

この養老先生のコラムを読んでいたら、内田樹の『ONE PIECE』の組織論と繋がっていった。(つづく)
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