青山劇場、青山円形劇場が今年いっぱいで閉館するという。特に青山円形劇場は、円形の舞台を客席がぐるっと取り囲むユニークな劇場だ。これまでさまざまな劇作家、演出家がこの劇場に挑んできた。イキのいい小劇場劇団がここで多くの公演を行った。まったく閉館するのは残念であり、日本の演劇界にとって大きな損失でしかない。国の文化政策のあり方をあらためて疑う。こんなことでは、いつになっても文化的豊かな国に日本はなれない。いや、豊かだった日本の文化は衰退する一方だ。文化的拠点となる劇場こそ大事にしなくてどうするのだ!
そんな青山円形劇場のファイナル記念公演を観ることが出来た。友人が演劇プロデューサーをしていて、幸運にもタイミングよく上京した折に観れたのだ。別役実が病気のため新作が上演できず、急きょ1985年の戯曲をやることになったそうだ。1960年代後半から活躍しているあの不条理演劇の第一人者、別役実の戯曲を演劇界の今や大御所の演出家ケラが演出するというとびきり贅沢な作品だ。
ある町にやってくる男(仲村トオル)。そして町の人々の奇妙な話。別役実的四隅の古い電信柱と電燈、そして円く置かれたいくつかの椅子、そして天井につるされた檻。とても抽象的な舞台だ。虎やライオンや熊といろいろな呼称で呼ばれる危険なものに噛まれる死の恐怖。一昨日は男が噛み殺され、昨夜はここにいる男の耳が齧られたと言う。今夜は誰が噛まれるのか。逃げ出した危険な野獣?犠牲者はまるで神?悪魔への生け贄のようでもあり、今夜も誰かの死が暗示される。
円形劇場に並べられた椅子のまわりを、ぐるぐるぐるぐると役者たちも舞台もまわり、言葉もぐるぐると繰り返される。繰り返されながら、町の人たちとこの旅のセールスマンの言葉が食い違い、ズレていき、意味が伝わらない。町の人たちの言葉に共通する暗黙の了解。ここには日本特有のムラ社会がある。共同体内部だけに伝わる約束事や言葉。部外者は理解できない。そして、知らないうちに罠に嵌められていく。そのズレとディスコミュニケーションが不条理の喜劇でもあり、恐怖でもある。
意味不明ともいえる同義反復の台詞のうちに、ズレていく意味。その言葉のリズム。台詞のやり取りがとにかく面白い。
観客は旅の男、セールスマンの仲村トオルとともに、この奇妙な町の人たちのやり取りに引き込まれていく。虎やライオンや熊と呼ばれる危険なものを見る羽目になる。噛まれたくないのに噛まれたいのか。言葉を裏切る欲望。この危険なものは、なんにでも置き換えられる。国家、共同幻想、共同体、法や掟や風習など見えないもの、あるいは私の幻想。そしてその犠牲者は生け贄であり、移民であり、異端者や犯罪者などのマイノリティたちであり、排除し抹殺すべき何か。
牧歌的で懐かしいハーモニカの調べと捕まえられる禍々しい生け贄。音と音、声と声が反響し、ずれていく。言葉は世界をすべて表したものではない。世界と言葉はずれていく。共同体から排除する暴力。知らなううちに。まさにこれは秘密保護法の世界だ。知らないうちに誰かが罠にはめられていく。町を秩序を守るために。悪意はなくても。その暗黙の了解、同調圧力が怖い。いくら弁明し、釈明しようとも、信じてもらえない。言葉が無意味になっていく。伝えられない思い。すれ違う感情。
町の人たちを演じる役者たちの独特の間合いや台詞回しが笑える。別役戯曲を喜劇として作りたいというケラの演出は成功していると思う。仲村トオルはもっとはじけていい。緒川たまきは声がいい。奥菜恵は、フェリーニの「道」のジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)を思い出した。道化のメイク。哀れな生け贄だ。
★青山演劇フェスティバル SPECIAL
〜サヨナラの向こう側 2014〜
青山円形劇場プロデュース
「夕空はれて 〜よくかきくうきゃく〜」
作:別役実/潤色・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
◆出演:仲村トオル マギー 山崎一
奥菜恵 緒川たまき 池谷のぶえ 犬山イヌコ
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