mixiユーザー(id:3912568)

2014年09月12日19:22

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耳を澄まし、よく見て感じることと何も感じられなくなること。

集中豪雨や雷など異常気象が頻発している。森が豊かな国土に住む我々日本人は、自然災害と隣り合わせでこれまで生きてきた。地震や津波に洪水。山の麓や崖の下、海や川のそばに家を建て、何度も災害で被害に会いながらも、自然とともに暮らしてきた。だから自然への畏敬の念を持っている。自然にはかなわない…とどこかで諦めてもいる。山や海や川や土、滝や石やモノたちに神を感じたりもする。アニミズムの精神だ。自然災害に何度もあっても、暮らしを建て直し、地域で協力し合いながら、森と水に囲まれて暮らしてきたのだ。


先日、埼玉の川越で視覚障碍者に暴力をふるう事件があって報道されていた。心なき人が増えている。余裕なき荒んだ心、格差社会が広がっているのだろうか。やり場のない怒りが弱者に向けられる。

その事件に触れつつテレビで障碍者の方が、「最近は車がハイブリット車になって、静か過ぎて近づいているのがわからなくて怖い」と言っていた。

なるほど。社会の進歩と思っていた車のハイブリット化、エンジン音が静かで快適だと思っていたことが、知らず知らずのうちに危険を増幅させているのだ。静か過ぎて、危険を感じられないのだ。簡単な運転操作になったオートマ化が、逆に事故を増やしていることもある。これは障害だけの問題ではない。私たちも同じだ。

危険なものを危険だと認識できないのだ。静かで居心地のいい快適さが、危険を隠蔽する。身体感覚で、危険を察知できないのだ。迫る危険な音を感じられない。

これって、どういうことなんだろう?武器にしても、無人で操作できる武器はまずます殺すことに痛みを感じないで済む。ゲームのように操作しながら、人が簡単に殺せるようになった。身体感覚がどんどん奪われているのだ。

人類の進歩、便利さや効率性、快適さの追求。その一方で、身体性が奪われている。ぶつかったら危険なものである車は、簡単に操作でき、音もなく静かに近づいてくる。ネット社会だって、便利さと引き替えに、情報が知らない間に操作され、管理されている。身体が接触し合わなくなっている。ネットでこと足りるからだ。

先日の深夜に、スマホの避難勧告メールが鳴り響いた。いったいどこに避難しろというのだ。今、この雷と豪雨の中を出でていって、避難すべきなのか。結局は、自分で考えて判断するしかない。どこに危険があって、どこへ向かえばいいのか?生きるための身体感覚に最後は頼るしかないのだ。危険を察知する能力、生き残るための能力は、自分の目と耳、肌感覚、そして直観と思考力だ。

そのためには。まず身体で感じなければいけない。五感をフル稼働させること。その感覚を鋭敏にしておかなければならない。便利になって、いろんなことができるようになってきたけれど、逆にいろんなことを感じられなくなっているのかもしれない。

自然災害と障がい者への嫌がらせ事件に、そんな身体性の大切さについて考えた。


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