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2018年08月08日20:26

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ペリー『核戦争の瀬戸際で』

※この日記は、先週末に書き、長崎への原爆投下の日の前日である今日のために残しておいたものだ。偶々、さきほど、沖縄県の翁長雄志知事の訃報に接した。この日記で沖縄について触れたのは偶然のことだが、翁長雄志氏のご冥福をお祈りしたい。

「私は今日、核兵器による破滅の危険性は、冷戦時代よりも高くなっていると考えている。アメリカとロシアの対立は冷戦に匹敵する−−この両国はいまだに約一万五〇〇〇〇発の核兵器を持ち、核戦力の増強と近代化を進めている。また、南アジアや北東アジアにも地域的な核戦争の危険が存在する。」

ウィリアム・J・ペリー『核戦争の瀬戸際で』p.314より

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アメリカの元国防長官、ウィリアム・ペリーの著書『核戦争の瀬戸際で』(東京堂出版・2018年)を斜め読みした。原著は、2015年に出版された「My Journey at the Nuclear Brink」だ。

新聞をあまり真面目に読まない僕は、クリントン政権時代の国防長官についてほとんど全く知らず、黒船を率いて浦賀に来航した「ペリー提督」が、彼の「5世代前の伯父」にあたることなどを知って驚いたりした。

特に目に留まったのは、彼が18歳のときに一人の米兵として1946年の沖縄にいたこと、そして50年後には、米海兵隊員による少女誘拐レイプ事件への対応のために再び沖縄を訪れたというエピソードだった。

彼は「沖縄訪問後、日本政府とともに、沖縄の基地問題の状況改善に向けた行動を決定する日米共同の作業グループを立ち上げた。このグループはSACO(沖縄のための特別行動委員会)と名づけられ」た。

その結果は、どうだったか。彼は次のように記す。

「二一年後の二〇一七年九月、私は再び沖縄の基地を訪ね、関係者から最新の状況について話を聞いた。その後まったく何の行動もとられておらず、基地周辺の住民との摩擦についても、一九九六年以降、周辺の人口の増加が続いたためにますます深刻になっていることを知り、非常に心苦しく思った。」

彼のスタンスは、率直であり、とても誠実であると思う。
彼は、情緒的なことを述べているのではない。沖縄米軍基地の抑止力としての重要性が高まっていることを認識したうえで、よりよい方法の可能性について示唆しようとしている。

この本の「終章 日本−−私の人生を変えた国」は、原著の刊行後に邦訳のために追加されたものだと思われる。冒頭の彼の言葉は、2017年9月以降の「今日」に関する彼の認識だ。

日本のここ何代か防衛大臣が、こうした危機感を抱いているだろうか。彼ら彼女らのうちの誰かが、退任の後にも、こうした問題に取り組もうとしているだろうか。

1927年生まれの彼は、「人生に残された時間を」「核の危険性に対する理解を向上させること」と「その危険性を大幅に減らすための行動を促進すること」を目的とした「教育プログラムを実施するために」捧げることとしたそうである。

以下は、そのプログラムのHPだ。

◆The William J. Perry Project
http://www.wjperryproject.org/
◆原著について
http://www.wjperryproject.org/about-the-book/

◆<戦争>と<平和>と<国防>に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=235926777&owner_id=2312860
◆「冷戦」に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1152333194&owner_id=2312860

■沖縄・翁長雄志知事が死去、67歳 がんが肝臓にも転移
(朝日新聞デジタル - 08月08日 19:54)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5236453
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