mixiユーザー(id:48131024)

2017年09月28日17:21

139 view

行法の本を取りて

法華三昧行法というのがある。
清冽な行だ。
四方八方の佛を、敬礼し、奉請し、供養する。
そして懺悔し、法華経を読み、禅をする。
それを細かに意を用いてなす。
懺悔は、いわゆる五感が、様々なものに惹かれ、結着し、
貪愛を呼び、迷惑し、清浄界を破り、下生する。
そして地獄に落ちる。と唱える。
ここに発露し、清浄を得さしめ給えとのるのである。
清冽だ。
真面目に考えれば、何もしてはいけないことになる。
しかし、私は考えるに、無に五感を向ける事は許されると思うのだ。
これが果たされれば、いわゆる破壊心識大懺悔と言える。
私は破獄懺法と言う。
とにかく、これを何七日か行じるのである。
敬礼だけでも疲れる。
懺悔も疲れる。更に法華経を読み、禅をするのである。
これは凄まじい。
しかし、これ程だから修行なのだろう。
私の今までの道は、緩やかで大きかった。
それは迎合的なのだ。
この行法は、清く鋭い。
身を切り血を流す道だ。
しかし、根本は五感を塞ぎ、無に五感を集中させること。
そして法華経に則り、禅を積む事なのだから、
全く無理な話ではない。
本山は励行しているのだろうか。
行法は、まさに出家の修行だ。
かく記すのも、僧侶に行じてほしいからだ。
まさに鶴の高鳴きのような修行だが。
出来るのだろうか。
しているのだろうか。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する