法華三昧行法というのがある。
清冽な行だ。
四方八方の佛を、敬礼し、奉請し、供養する。
そして懺悔し、法華経を読み、禅をする。
それを細かに意を用いてなす。
懺悔は、いわゆる五感が、様々なものに惹かれ、結着し、
貪愛を呼び、迷惑し、清浄界を破り、下生する。
そして地獄に落ちる。と唱える。
ここに発露し、清浄を得さしめ給えとのるのである。
清冽だ。
真面目に考えれば、何もしてはいけないことになる。
しかし、私は考えるに、無に五感を向ける事は許されると思うのだ。
これが果たされれば、いわゆる破壊心識大懺悔と言える。
私は破獄懺法と言う。
とにかく、これを何七日か行じるのである。
敬礼だけでも疲れる。
懺悔も疲れる。更に法華経を読み、禅をするのである。
これは凄まじい。
しかし、これ程だから修行なのだろう。
私の今までの道は、緩やかで大きかった。
それは迎合的なのだ。
この行法は、清く鋭い。
身を切り血を流す道だ。
しかし、根本は五感を塞ぎ、無に五感を集中させること。
そして法華経に則り、禅を積む事なのだから、
全く無理な話ではない。
本山は励行しているのだろうか。
行法は、まさに出家の修行だ。
かく記すのも、僧侶に行じてほしいからだ。
まさに鶴の高鳴きのような修行だが。
出来るのだろうか。
しているのだろうか。
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