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2015年09月25日23:58

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谷崎源氏(旧訳)における削除と円地文子

「その一つは、臣下たる者が皇后と密通をしてゐること、他の一つは、皇后と臣下との 密通に依つて生まれた子が天皇の位に即いていること、そしてもう一つは、 臣下たる者が太上天皇に准ずる地位に登つてゐること、これである」

谷崎潤一郎「あの頃のこと−−山田孝雄追悼」より

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谷崎潤一郎による最初の源氏物語の現代語訳(いわゆる「旧訳」)は、1935年(昭和10年)から着手され、1939年から1941年にかけて出版されている。
当時の右翼団体の中には「源氏物語俗訳禁止」とか「源氏物語翻訳発禁」などといった主張するところがあったらしい。そのため、前にも紹介した池田龜鑑などは「この古典[源氏物語]を護りつづけることは容易ならぬ、命がけの仕事であった」とその頃のことを振り返っている。
■戦争と源氏物語(2015年08月07日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=2312860&id=1944860098

そのした時勢の中で「源氏」の現代語訳を出すために、中央公論社と谷崎は、山田孝雄の校閲を受けることとする。
僕は、山田の校注による『平家物語』(岩波文庫・旧版)を持っているが、「平家」の研究家が「源氏」の校閲を行うというのは奇妙なことでもある。これには相応の理由があり、山田は「当時国語学・国文学の最高権威であり国体明徴派として当局から好意的に見られていた」とのことであり、中央公論社と谷崎は、山田が了解する内容であれば、当時の情勢下でも出版が可能だと考えたようだった。

冒頭に引用したのは、山田が谷崎に対して示した源氏物語から削除するべきだとした内容。これを条件として、山田は校閲を引き受けたようだ。

以上の話は、源氏物語の「享受史」の中の「昭和」時代のエピソードとして知られているものだ。この点については触れられている著作も多く、またウィキペディアの「谷崎潤一郎訳源氏物語」の項でも詳しく説明されている。

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『円地文子の源氏物語 巻一』(集英社文庫・1996年)の冒頭にある「わたしと『源氏物語』」という前書きの中で、円地文子が次のように書いている。

「私は少なくとも谷崎先生のご在世中に、自分がその訳業にとりかかるのは不相応ではないかと思っていた。」

実際、円地が源氏物語の現代語訳にとりかかったのは、谷崎の没後のようである。
素直に読めば、この円地の言葉は、大作家の労作を前にしての畏敬の念から出たものと受け取れる。
しかし、どうもそれだけではないような気もする。

前に紹介した円地訳の源氏物語の中で、円地が大幅に加筆していたのは、

「皇后と臣下との 密通に依つて生まれた子が天皇の位に即いていること」

にかかわる部分だった。
それは、新訳や新々訳では復活されたものの、谷崎の旧訳では禁忌とされていた部分だ。
谷崎には禁じられていた部分について、ことさらに加筆してまでして「表現」することが、円地にとって「谷崎先生のご在世中」には出来なかったことではなかったのか。

そう考えると、円地文子が自身の「訳」に込めた情念のようなものが垣間見られるような気がしてきた。


■円地文子が描く藤壺の内心(2015年09月19日)
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■源氏物語に関する日記の目次
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