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2015年08月20日22:04

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思い出の記録としての歌

平安時代の人々は、何故、あれほどまでに多くの歌を詠(よ)んだのだろう。
と考えることがある。逆に言えば、
何故、現代を生きる我々は、歌を詠(うた)わずにいられるのだろう。
ということでもある。

『更級日記』は、菅原孝標の女(むすめ)が、彼女の少女時代から晩年までを綴った回想記のようなものだ。
そして『更級日記』には、多くの歌が記されている。楽しい思い出や悲しい事件の折々に、詠った歌、贈った歌、贈られた歌が記されている。
この本の原文を読みながら、ふと思った。
これらの歌は、アルバムの中の写真のようなものだと。

昭和の時代には、旅にはカメラを持参して、記念のために多くの写真を撮った。
今では、コンパクト・デジタル・カメラや携帯電話に付属しているカメラ機能で、特別なときに限らず、日常において写真を撮ることが出来る。
それらは、思い出のよすが(縁)となる。

そうした記録装置が無い時代には、絵か言葉を残すことになる。
「和歌」は、そうした「言葉」の中で、もっとも簡便なものだ。
リズムがあるから、覚えやすくもある。

歌を詠い、歌をつなげ、そして筆記することで、自分の半生を顧みることもできる。
歌として記されたものが、一人の人生と等しい重みを持つようになる。

そんなことを考えた。

もちろん、当時の歌にはコミュニケーション(贈答)や社会的評価(出世)・歴史的評価(勅撰)といった多面的な機能があった。そうした機能のそれぞれの面から、詠作の意義を考えることもできるだろう。
「思い出の記録」という機能は、そうした様々な機能の中の一部に過ぎない。
ただ、日記や家集(歌集)作者たちにしてみれば、重要な機能であったのではないだろうか。

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