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2015年02月11日23:38

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パート20



エピローグ
   愛の妄執によって女性主人公がスーパーナチュラルハイになること、どちらのテクストにも表される。偶然にもそうであるが、愛の経験においてそうしたことはスーパーナチュラルなことである。個を捉えていくキノアイな感じはアサイヤスもブノワジャコーもテシネも表してるって感じだけれど、それに対してベルトルッチとガレルは空間を活かす。いっかしてる〜♫

『愛の残像』(ガレル:2008)
   写実性、記録性はガレルの持ち味、愛の実存がサルとる。ガレルがここで表すものは愛の葛藤とかいった、そんな文学的な香りがする生易しいものなのではない。愛し合う人々の在る空間は、フーコーが言う、痛みを与える場所でしかない。
    愛があらわされる。ヌーヴェルヴァーグのご多分にもれずミゾグチしてきたところから俄然オモシロくなるが、これってコクトーなのかとも思ってきちゃったりもするけど、鏡の向こうの黄泉の国で我々は、愛の実存をミラくる。この不思議、偶然のなかに存在するのである。写実・記録はこうしてガレるのである。主人公3人の間に生まれるエロスはイストワーるのであり、シャンソンの歌詞も「僕はユダヤ人だ」も、現代の記録に同列線上にあるのだ。


『シャンドライの恋』(ベルトルッチ:1999)
   火照ったときの身体と心底恐怖を感じたときの失禁、そしてそのエロスは失神にも似た感覚なのかもしれない。解かれたい。
  ?と描かれた楽譜のように、フォルムに顕るクエスチョン マークもラストに宿る深い喪失感も、Very ベルトルッチ。ジャグリングした後のファーストモーションは『地下鉄のザジ』のそれよりもエモーショナルであるが、このヌーヴェルヴァーグなテクニシャン、ジャンプカット、反復、コマ抜きスローモーション駆使し主人公2人の繊細なエモーションを紐解こうと試みる。
   今は亡きパゾリーニへの往復書籍なのか、愛が精神性として存在する。和解、理解、ここにある解(かい)には、音階の“かい”も階段の“かい”もつながりをもたらす。何億回のThank youよりも、愛は解く。我々を未だ取り囲んでいるものに、解答が必要とされる。

 プロローグ
  ベルトルッチとガレルは空間を活かす。空間に歴史が表される。歴史は物語だけへ貶められるものなのではなく、歴史は文化の素因となるものであり、同時にそのものでもなければならない。イストワールはエロス、エロいな〜♫


             シャンドライの恋



             愛の残像




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