mixiユーザー(id:48131024)

2020年04月22日20:59

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大乗諸道

タイ瞑想をしていて、ふと思った。
私が今までやってきたことは、小乗ではないか?
なぜなら、涅槃滅却を信条としたものだからだ。
ところが、このタイ瞑想は、菩薩のように、慈悲を用いる。
さらに考えると、道とつくものは、総て仏道ではないか?
仏とは、知恵者であり、総ての道という道の利益者ではないか?
なぜなら、学びや、内観によって、執着を解く事ができるからだ。
道は内観のあるものである。その道を達するためには、必ず内観を用いる。
つまり、大乗であり、この娑婆は仏国土。
仏は、総ての道の者の利益者。例えば、剣禅一如などあるし、
茶道もわびさびある。弓も、達人の域に達すれば、視線で射る。
顕密は、道の宗となる。宗とは、太い中心である。
ただ、仏の知恵が、どのように、道々を利益するのか、分からない。
ただ、執着を解く、無我を信条とする。これくらいなら分かる。
つまり物質主義者を療治すると言えよう。
精神主義者でも、まだ甘い。
そして、一に通ずれば万に通ず、という事もある。
どうやら、執着を解く事と、無我を教える事は正しい。
私の瞑想生活が、西天取経の旅ならば、
大乗がもたらされ、諸道を利益する事になる。
大乗とは、大いなるものである。
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