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2015年08月29日06:16

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智恵の本源としての剣-神皇正統記(03)

「又「此鏡の如くに分明(ふんみょう)なるをもて、天下に照臨(しょうりん)し給へ。八坂瓊の広がれるが如く曲妙(たくみなるわざ)をもて天下をしろしめせ。神剣をひきさげては不順(まつろはざる)ものを平らげ給」[と]勅ましましけるとぞ。此国の神霊(しんれい)として、皇統一種ただしくまします事、まことにこれらの勅に見えたり。三種の神器世に伝こと、日月星の天にあるにおなじ。鏡は日の体なり。玉は月の精なり。剣は星の気なり。ふかき習(ならい)あるべきにや。」

「此三種につきたる神勅は正しく国をたもちますべき道なるべし。鏡は一物(いちもつ)をたくはへず。私の心なくして、万象を照らすに是非善悪のすがたあらはれずといふことなし。そのすがたにしたがひて感応するを徳とす。これ正直の本源なり。玉は柔和善順を徳とす。慈悲の本源也。剣は剛利決断を徳とす。智恵の本源也。」

『神皇正統記』(岩波文庫・1975年)p.37〜38より

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「鏡」「勾玉」「剣」が三種の神器であり、天皇の正統性を示すものだということは、昔から聞いたことがあった。この三種は、天皇に限らず、古代においては権力の象徴であったらしい。
では、どうしてこの三種なのか。

「神皇正統記」によれば、「鏡」は私心の無いことの象徴であり、是非と善悪を正しく判断することを権力者に心得させるものであるらしい。
「勾玉」は、国政の運営に「巧みなる技」あるいは柔軟性を求めるものであるらしい。剣が「武器」として「まつろはざるものを平らげ」るものだというのは、分かりやすい。

三つで「正直」「慈悲」「智恵」の「本源」なのだそうだ。
このうち「正直」と「慈悲」はいいとしても、「剣」が「智恵の本源也」というのは、少し分かりにくい。

現代に生きる庶民としての僕は、「智恵」とは「熟慮」に基づくもののように思っている。
しかし、南北朝の動乱の季節に生きた「神皇正統記」の著者(北畠親房)は、天皇が備えるべき「智恵」として、それとは随分と違ったものを考えていたようだ。

「智恵の本源」である「剣」は、「剛利決断を徳とす」るのである。
俗っぽい表現を使うならば、「剣で断つようにスパっと決める決断力」こそ、統治者に求められる「智恵」であるということだろうか。

この著者の考え方には、もっと奥行きのようなものがあるのかも知れないけれど、とりあえず、そのように考えておくことにする。

■神皇正統記に関する日記の目次
(01)「天」読了(2015年08月22日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945348709&owner_id=2312860
(02)仲恭天皇(2015年08月23日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945363811&owner_id=2312860

■「神皇正統記」原文
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/jinoushoutouki.html
■下川玲子「北畠親房と「正直」」
file:///D:/Documents%20and%20Settings/ca29394/My%20Documents/Downloads/6.pdf

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