『水の旅人 侍KIDS』 ハリウッドをなにも意識していないといったら嘘になるような、久石譲によるジョンウィリアムス的なシンフォニー、されど映像的には、ハリウッドを追い抜け追い越せと躍起になっていること全く見せつけない大林マジック、とっても宣彦ペ
『たそがれ清兵衛』 日本人が忘れ去ったものが表される。それゆえ、現代日本人である私はこの作品のことがなにも分からないのである。、、、、、それを言っちゃおしまいよ。 田中泯がキャストされた意味合いは気合いもった剣術殺陣に表されられるのではなく
思えば、何気に劇場に入ったこの作品がきっかけとなり、山田洋次をちゃんと観よう&大林宣彦懐かし久しぶりに観ようと相成ったのである。『家族はつらいよ2』 バルトに傾倒しているからそう思ったのか、オープニングタイトルのキャストスタッフの名前の
熟女ファンは大喜びで観ているであろう『セシルのもくろみ』。「ストーリー」の愛読者の私も喜んで観ています。足の引っ張り合いのファッション界描いた沢尻のドラマや、ママさん社会で健闘する主人公のドラマのドロドロとちがって、スポ根的な爽やかさを感じ
『虹をつかむ男』 虹は映画であり、幸福であり、家族やいろんな人たちとのつながりが表される。虹は寅と私たちをつなげる橋ともなる。主人公は虹の橋を掛ける。ラストははぐらかされた気分であるが、リスペクトする故人のメモリアルであれば当然に必然とな
『異人たちとの夏』 ややローアングルの目の下にクマができた風間杜夫のショット、彼の高い尖った鼻を観たとき、これは大林のノスフェラトゥなんだと理解できた。遥かノスタルジー、慈しまれる者とは何か、我々は写し移し取られる魂のなかで問いかけられる。
『同胞』 作品に描かれる時代それは、寺尾聰や市毛良枝を考えれば、後期高齢者なりたての方々が青春を過ごしていた時代、若人が都市に出ていきそのまま残ったり、過疎化が起こる前触れのなか、新しい芽生えは生まれている。高度経済成長の時代に、その外側
『モン・パリ』 マストロヤンニが出ていてもフェリーニのようでフェリーニではなく、ドヌーヴが出ていてもブニュエルのようでブニュエルではなく、イタリア式ではないフランス式艶笑コメディ。ヘンテコ☆ファンタジー。 ラストは松田優作的に、なんじゃーこ
男がつらいよ、とは、なるほど、そういった意味なんだあ。男の友情とか恋ごとだけではない。寅さんのどの作品を観ても、この始源的なドラマに、あっなるほどと思うところどれもあるとは思うんだけれど、今回観た『花も嵐も寅二郎』、私的にはリンクした。バブ
山田洋次の、とある検索で、検索数が1046件、ほとんどが寅さんのなか、釣りバカ日誌も出てきたりと、パソコン睨みながら、それらではない他の作品を抽出していく。おめめがつらいよ。『同胞』なんか今じゃ観れないと思っていたけれど、ラクチンに観れるのか。
『モン・パリ』 ヘンテコ☆ファンタジー。マストロヤンニが出ていてもフェリーニのようでフェリーニではなく、ドヌーヴが出ていてもブニュエルのようでブニュエルではなく、イタリア式ではないフランス式艶笑コメディ。ラストは松田優作的に、なんじゃーこり
『小さいおうち』 恋をしたらココロ此処にあらず、というところは寅さんっぽい。無邪気に背徳をしているのは松たか子だからこそ出来る技。恋をしたら誰しもそれにまっしぐら。だからヒューマンであるのであろう。寅だって、そうである。サクラ的な真心もいい
『野のなななのか』 関係者への謝辞はインディーズ的なフォルムの入り口、そこにはエナジーとても表される。みんなの力の結晶的な、素敵さ。松竹の富士山のオープニングには感じられないものがある。そして、そこからうつさるる。変化は動きであり、ムーヴで
スキャンダラスキャッツナイト2 箱崎水族館 8月19日Gumi (Piano, Noise)中村勇治(Bass Clarinet, Soprano Saxophone)福島由美(Dance)山本泰輔(Dance) タイトルの意味を問えば、キャッツとはジャズ演奏家を指すものら
ダンスの犬all is FULL 公演 9人の女性によるソロプロトシアター5月26日 博美 ダンス 深谷正子 演出上半身微動だにせずの動き、ミニマルな所作、椅子を壊すダイナミズムと同時に表わされるそれら椅子に同化する様、無駄を省いた全体、されど精神的な集