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2018年12月03日21:07

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川端康成と湖月抄(1)

「 戦争中に私は東京へ往復の電車と燈火管制の寝床とで昔の「湖月抄本源氏物語」を読んだ。暗い燈や揺れる車で小さい活字を読むのは目に悪いから思ひついた。またいささか時勢に反抗する皮肉もまじつてゐた。横須賀線も次第に戦時色が強まつて来るなかで、王朝の恋物語を古い木版本で読んでゐるのはをかしいが、私の時代錯誤に気づく乗客はないやうだつた。途中万一空襲で怪我をしたら丈夫な日本紙は傷おさへに役立つかと戯れ考へてみたりもした。
 かうして私が長物語のほぼ22、23帖まで読みすすんだころで、日本は降伏した。「源氏」の妙な読み方をしたことは、しかし私に深い印象を残した。電車のなかでときどき「源氏」に恍惚と陶酔してゐる自分に気がついて私は驚いたものである。もう戦災者や疎開者が荷物を持ち込むやうになつてをり、空襲に怯えながら焦げ臭い焼跡を不規則に動いてゐる、そんな電車と自分との不調和だけでも驚くに価ひしたが、千年前の文学と自分との調和により多く驚いたのだつた。」

川端康成「哀愁」より(以下から孫引き)
https://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/46d2e7601a3c3a7b3589af2defb5818d

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戦後、川端康成が源氏物語の現代語訳を試みようとしていたことについては、日記の中でもご紹介したことがあったかも知れない。川端には、「竹取物語」「とりかえばや物語」などの古典の現代語訳がある。川端が訳した源氏物語は、与謝野、谷崎、円地のいずれとも違ったものとなっていたであろうから、それが出版される前に川端が亡くなったことは、残念なことだ。

川端が、源氏をどのように読んでいたのか、興味があるが、まだ彼の源氏評のようなものをまとまって読んだことはない。そもそも、そういうものがあるのかどうかも、調べきれていない。

上の引用によれば、「電車のなかでときどき「源氏」に恍惚と陶酔してゐる自分に気がついて私は驚いたものである」とのこと。

「恍惚と陶酔」している状態というのは、分かったような分からないようなところがある。
分かるというのは、ある種の読書が持つ効能のようなもので、人間を現実から遊離(逃避)させ、心地よい気分にさせることだろうということだ。
分からないのは、源氏物語のどのような部分ないし性格が、川端のどのような性質と接触することによって、彼が「恍惚と陶酔」したのかということだ。多分、それは耽美的な何かなのだろうが、具体的には分からない。

いずれにしても川端は、敗戦へと傾斜していく困難なときを、源氏物語から与えられる慰めによって生き延びたのである。

なお、ここで川端が読んでいる『湖月抄』は、僕が先日入手した明治以降の活字版ではなく、江戸期の木版版だろうと思われる。

◆湖月抄(下)を入手(2018年12月02日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969412873&owner_id=2312860

◆源氏物語に関する日記の目次
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◆日本古典文学に関する日記の目次
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1878532589&owner_id=2312860

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