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2006年09月29日01:23

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命の重み(価値論02)

「人命は地球より重い」という言葉があるけれど、あまり好きな言葉ではない。
比較できないものを比較しても意味がないし、このように意味のないことを敢えて言葉にするのは、たいがい何か別な意図があるからだ。
我が国の首相がこの言葉を語ったのは、人質の命を救うかわりに、テロリストを野に放つという超法規的な措置を正当化するためであった。
(1977年9月、ダッカ日航機ハイジャック事件)

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「命の重み」について、この対極にあるのが、戦前の「軍人勅諭」の思想だ。

「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ」

「鴻毛より軽し」という言葉は、「司馬遷」から採ったもののようだ。

「人固有一死。或重於太山、或軽於鴻毛。用之所趨異也」
(「司馬遷−報任少卿書」)

これは、「死というものは、立派に死んだ時は泰山より重く、つまらないことで死んだ時は鳳の羽毛より軽い」という意味だそうだ。「鴻毛より軽し」の意味合いが司馬遷と軍人勅諭では全く異なっているが、これは軍人勅諭の起草者の意図的な誤釈ではないかと思う。

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戦前の教育では、「盡忠報国」のスローガンの下、「国のためであるならば身は鴻毛の軽きに比する。大義のためには生命を捨てよ」とも教えられたそうだ。若い頃にそういう教育を受けた世代にとっては、「地球より重い」という言葉には格別の「重み」があるのかも知れない。

「人命は地球より重い」という言葉の価値が僕にはピンとこないのは、この言葉の対極にある思考様式について、僕には実感が湧かないからかもしれない。

「鳥の羽根よりも軽い」ものが「地球よりも重い」ものに変わる。
それが、大日本帝國の世から日本国への「回天」であり、基本的人権の思想であり、民主主義であり、1945年の「8月革命」であったということかも知れない。

(つづく)

<教育:府中町議会定例会会議録>
http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/contents/7d48190f06040fa/7d48190f06040fa26.html

<価値論01「ニュース・バリュー」>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=230268603&owner_id=2312860#comment
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