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2006年09月28日00:18

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ニュース・バリュー(価値論01)

「価値(バリュー)」というものについて考えることは、経済学のテーマのひとつでもある。古典派経済学の著作をみれば、多くの場合、冒頭で「価値」について論じられている。
ところが最近の経済学の教科書では、あまり「価値」という言葉が見られない。替わりに、「効用(ユーティリティ)」という言葉が使われるようになってきている。経済学が、その哲学的な基礎として「功利主義(=効用主義)」を採るようになってきたからだ。

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以下の話は、以上のこととは全く関係がない(笑)。

「ニュース・バリュー」という言葉がある。「ニュースとしての価値」という意味の言葉だ。ある「情報」にニュース・バリューがあるかどうかは、ある程度客観的に計ることができる。新聞、テレビ、ラジオなどのメディアで報じられるかどうか。その有無や量を尺度として、ニュース・バリューというものを考えることができる。各々のメディアは、想定する読者(または視聴者)が欲すると考える情報、あるいは自ら伝えるに値すると判断した情報を「ニュース」として流すことになる。

昨日までは余り取り上げられなかった酒気帯び運転の事件が、ある日を境に大きく取り上げられるようになる。話題性や社会的な文脈は、ニュース・バリューの要素である。
俗に、「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」などと言われる。珍しさ、目新しさも、ニュース・バリューの要素である。

しかし、読み手の側の広い意味での「ニーズ(Needs)」なり「ウオンッ(Wants)」が、ニュース・バリューの主たる構成要素であることは、間違いないだろう。そうであれば、新聞の紙面やテレビ・ニュースの配列には、我々の「欲望」なり「意識」なりの体系(システム)が現われていると言えるかも知れない。

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A:埼玉県内の市営プールで、1人の女の子が排水口に吸い込まれて死亡した。

B:アフリカでは、毎年150万人以上の子供がマラリアで死んでいる。

Aのニュースについては、新聞・テレビが大々的に取り上げ、かなり細かい関連事項までが報道された。Bのニュースについては、ときどき思い出したように概要が伝えられるに過ぎない。

ここで僕は、そのことを不当だとか不平等だとか言いたいのではない。
埼玉県に住み、息子が公営プールに行く機会がある僕にとっては、たしかに「A」は「B」よりも身近で切実な問題だ。
こうしたことは、ある意味で、我々の「意識」の忠実な反映であるのかも知れない。

遠くの国で起きている戦争のことが、芸能人の離婚騒動と同じ程度の重みで報じられる。
更に遠くの国の戦争のことは、昨夜の巨人軍の勝敗ほどの価値もない。

それは、アンバランスな均衡であり、秩序だったグロテスクであり、笑われることのない笑劇である。
人間における価値とは、社会における価値とは、えてしてそのようなものかも知れない。
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