「源氏物語の影響は、ひとり文藝作品の世界ばかりでなく、ひろく日本文化の全面にわたり、生活の諸方面におよんだ。この感化は、よい意味でも惡い意味でも、國民生活の各層にしみこんでしまつた。こうして一方では不倫の戀愛を取扱つてゐるとか、皇室の尊嚴をきずつけるとか、さまざまな低劣な議論があらはれ、軍閥政權のはなやかであつた時代においては、ついに焚書の論さへも一部の過激派の�里砲篭�ばれるにいたつた。この狂躁は今日から考へると愚にもつかぬことながら、その當時としては眞劍な問題であった。この古典を護りつづけることは容易ならぬ、命がけの仕事であった。」
與謝野晶子譯『全譯 源氏物語 第一卷』（角川文庫・１９５４年）所收、池田龜鑑「源氏物語と晶子源氏」より
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僕の知る限りでは、角川文庫から出ている与謝野晶子の「全訳」は、最初は９分冊で、後に３分冊にまとめられ、現在は５分冊となって書店に並んでいる。
そのうちの一番古い９分冊本の第一巻が古本屋の１００円コーナーにあったので、手に取ってみた。この版の初版は昭和２９年（１９５４年）であり。表記は旧字・旧仮名遣いであるが、僕にはその方が嬉しい。
巻末に、源氏物語研究の大家である池田亀鑑による与謝野晶子の現代語訳に対する絶賛の言葉が掲載されていた。上に引用したのは、その中の一節。
戦前・戦中の源氏物語に対する圧力と言うことでは、同じく源氏の現代語訳を試みた谷崎潤一郎が、当局の検閲や「一部の過激派」からの攻撃を恐れ、「不敬」との疑いを抱かれる可能性のある場面は「省略」したことなどが知られている。この例は、中央公論という影響力のある出版社に固有の問題であったかのように言われることもあるが、池田の言葉を読むと、源氏物語に対する「圧力」は、より広い範囲のものであったことが分かる。
少なくとも、池田にとっては、源氏物語を護ることは「命がけの仕事」であったのだ。
この文章、角川文庫の後に版には受けつがれているのだろうかと調べてみたら、３分冊版でも５分冊版でも、いずれかの巻に、この池田の文章が（もちろん、新字体・新仮名遣いによってだが）解説のような形で残されていた。「源氏物語」の近代史を知るうえで、とてもよいことだと思う。
■池田亀鑑「源氏物語と晶子源氏」
http://www6.atwiki.jp/amizako/pages/167.html
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