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2026年04月22日06:31

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【ぼくの浅草 2】 浅草マジソン・スクェアー・ガーデン

【ぼくの浅草 2】
浅草マジソン・スクェアー・ガーデン
(二度と見ない夕焼けを見た、男たち)


 浅草には、戦災で焼け残った建物がいくつかあった。
 浅草公会堂はその数少ないひとつで、上から下までが煤けて黒い外見で、まるで浮浪児のような姿で突っ立っていた。
 だが、その場所がどこかといえば、これが、思い出そうとするのだがわからない。いまの5656会館のあるところみたいな気もするのだが、調べてもそうは書いてない。浅草公会堂の頃は、ぼくは子供過ぎたんだなあ、と思ったりする。
 いまや浅草っ子だってわかる人はほとんどいないんじゃないか、と思う。
(現在の浅草公会堂とはまったく違うものです)

 マジソン・スクェアー・ガーデンっていうのもわかりづらいね。ニューヨークにある、プロレスとボクシングの常設小屋で、「プロレスの殿堂」などと東京スポーツは書きたてていた。略称はMSG(マジソン・スクェアー・ガーデン)、この表記を見ただけで、「人間発電機」ブルーノ・サンマルチノが思いつく人は東京スポーツの熱心な読者です。

 この日本のマジソン・スクェアー・ガーデンの役目を昔の浅草公会堂がになっていたという話しで、ここまでで日が暮れそうだ。

                ○

 では、会場がどういう具合に設営されていたか。この作りだけで、またひとつ話しで面白い。
 劇場(公会堂ですが同じ構造)の中に入ると正面にステージ、その手前に座席、上には2階席です。これがざっと全体の構造。
 なんとステージの前に仮設リングを設営します。ステージ上が特リングサイド席、リング回りがリングサイド席、左右の通路は途中で区切って、赤・青コーナーの控え室になります。

 後にボクシングのメイン会場になる後楽園ホールも同じ。左右に階段席が仮設されることを除けば、ほぼそのままです。

                ○

 えーと、この際だから、女子プロレスの話。
 上の設営、映画館でプロレス興行をするときのカタチなんですね。この形ができて、当時、地方回りがほとんどだった女子プロレスの巡業形式となっていくのですね。映画館は日本中にありますから、興行がこれでできるわけです。

 力道山の日本プロレスは、もっともっと大きい箱で行われるので、これとは違います。たとえば大阪、扇町プール。水を抜いたプールの上にリングを設営してスタンドが客席になっています。

                ○

 ここまで、だいぶ遠回りをしました。
 拳ひとつで人生を切り拓こうという若者は、まずは煤けた浅草公会堂の前に立つのです。みんなそろって痩せっぽちの4回戦ボーイです。見上げるのですね。
「ここから人生がはじまるぞ」
と思っているのでしょう。

 これもついでですが「明日のジョー」で有名になった泪橋(なみだばし)は、浅草から向った千住のさかい目にあります。千住から浅草に向かう時、人は必ず
「泪橋を渡って行く」
ことになるわけです。

 そのころのボクシング興行は、下のような構成です。
 4回戦×4試合以上 前座戦     
 6回戦×2
 8回戦   セミファイナル
 10回戦   メインイベント
 
 4試合以上ある4回戦の半分以上がデビュー戦で、4〜6人の新人ボクサーが毎回リングに上ります。
「えっ、そんなにいたの」
 いえいえ、それでも捌き切れなかった。というのは、当時は拳ひとつで人生を切り拓こうという若者で引きも切りない時代だったのです。ま、貧乏だったのです。

                ○

 ぼくは、当時、小学生ですがそのぼくを浅草公会堂に連れて行きたがる人がいるんですねぇ。某有名ボクシング・ジムのトレーナーです。
「ぼく、今日も行くかー」
と声をかけると地下鉄に乗ってすーっと浅草に行くわけです。

 浅草公会堂に着くとステージ席(特リングサイド)にぼくを座らせ、本人は4回戦ボーイの待つ控え室に行きます。一度行くと、帰って来ない。どうしたのかなあ。前を見ると、セコンドに立っている。
 カーン。

 次々と4回戦が終わると、
「じゃあ帰るか」
と声をかけにきます。
「あ、そうか、今日はこれで終わりか」
と控え室に行くと、勝ったボクサーにファイチマネーが届きます。それが驚くことにすべて100円玉だった。100円玉で15枚1,500円位だろうか、それにKO賞がついて2,000円位だったと思う。勝ったボクサーは、そいつを握りしめていた。

「おい、N田、どうした」
 KO負けした、その日、同行したもうひとりのボクサーの行方を尋ねます。
「確か奥にいます」
 控え室の奥のドアを開けると、テラスになっていて、空が開けています。
「あれー、すごいなあ」
 そこから泪橋に向かって盛大な夕焼けが広がっていました。
「おい、帰るぞ」
「わたし、ここで少しゆっくりしてから、帰ります。先に行ってください」
「そーか、じゃあな」

 それで、ぼくらは帰り道に着くことになるのだが、帰りしな控え室のところで
「君んとこの、兄ちゃん、強いなあ」
と声をかけてくれた人がいた。大宮敏光、デン助だった。
 勝った4回戦が、ぼくの兄と思ったのだろう。
 ぼくはうまく返事ができなくていると、デン助はあの首振りポーズをしながら会場に入っていった。

 夕焼けを見ていたN田さんは、この一試合でボクシングを辞めたらしい。もう会うことはなかった。
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