生首と圓生とパイプ椅子。
その昔です。新宿・末廣亭に謎の席がありました。最前列の「かぶり付き」よりさらに高座に近い謎の席。
きちんとした一番前の席、それより前に折り畳みのパイプ椅子が一列だけ、きわめて無愛想に並べられていたのです。臨時の席ですね。これが、なにしおう通よりもっと通、いわば狂の人の席なんですね。
なんの狂かといえば、寄席にラーメンを食べにきたわけじゃない、落語を聴きにきた落語狂です。ツバを被ろうと、高座のホコリを吸い込もうと、1cmでも高座に近づいて落語を聴きたい、という一心不乱の狂人の席なのです。
そうです、はい。えー、えてしてこういうところには真っ当なもんは一人も来ませんし、育ちません。
見た目もひどいことになっています。まっつぐ顔をあげれば、高座のヘリに顎が乗るカタチ。高座から少し視線下げれば、高座のヘリにゾロリと並んだ、首だけを見ることになる。
ちょうどカラダは見切れていて、
「あっ、こりゃあ生首だ」
三条河原に晒された、生首のように並んでいる景色になる。どうも陽気じゃない。
生首の当人たちは、それに一向に気づいていない。ここが、面白い。
ところが、後々ですがね
「…あの生首にゃあまいったね」
という書き込みに出会った。「そりゃあ、そうだ」、と遅まきながら当人の一人だったぼくはすっかり納得した。
○
ぼくは、中学生に入ると、この席の常連になった。どうしてかと言えば、ぼくは映画では必ず一番前の席だった。
かぶるように音が降ってくる。これがいい。プレスリー映画なら最高だし。
映像で言えば、自分も画面の一部になっている。「麗しのサブリナ」を見た時には、モーターボートに一緒に乗っている気持ちになっていた。
だから、番外の一番前で、クッションなんてまるでないパイプ椅子でも平気だった。ここがいいんだ、と言いだしたいくらいの気分でいる。
ちなみに、いつ行っても最前列の前には空きがあった。パイプ椅子で3〜4時間、辛抱するのはやわな尻の大人には無理だったんだろうなあ。
これも、後聞き、落語家を目指して家出してくる少年は、ほぼこの椅子に座ることになる。よーくわかります。
○
しかし、高座から見るとこの席は目立つ、気になる。
三遊亭圓生が主任、つまりトリの時、ぼくは毎日通った。ぼくは、三遊亭圓生を尊敬する中学一年生だった。
ところが圓生、
「おい、また中学生、来てるよ。どうも毎度ケシカラン」
と、まで思ったかどうかはわからないが、妙な中学生でしかないぼくが放つ熱には気がついている。
右目をクッと見開いて(わかる人はすぐわかる)ぼくの方を見ると、
「では、ひとつ意見でもしてやろう」
と思いついたのか、「小言幸兵衛」を演りはじめた。ひときわ声をあげて、
「頭ごなしに怒鳴りやがって、頭にコブが出来そうだった」。
二日目は、
「また、居やがるよ、中学生。今日は、なんでこらしめてやろう」
と、思ったのだろうと思う。
「子別れ」をはじめた。
「親ってのはこう思ってんだぞ」
と、ばかりに父親が子供をこずくところを熱心に語るじゃないか。
おかげで、この日も「頭にコブが出来そうだった」。
三日目も、「子別れ」。
しかしまあ、これが長い。寄席の話しとは思えない長さ、かれこれ40分。
(後から知ったことだが、上中下ある「子別れ」のほぼ全編をやってくれたのだと思う)
「中学生、これでもか」
と、思っていたかどうかはともかく、終わると三遊亭圓生も気が入り過ぎたのか、少し上気していた気がする。
ぼくの方は、もう、うな垂れちゃって。
「親があって、ぼくがいる」
「寄席になんぞ通ってちゃあ、いけないなあ」
「落語家になったって、親は喜ばないだろうなあ」(この件、後で書きます)
とブツクサ思いながら帰ったのです。圓生の声が、道々頭の中で
「そうでゲス」
とコンコンと相槌を打っていました。
実は、ぼくは落語家になりたいと密かに思っていたのです。このせいばかりとは言い難いのですが、ぼくは、まずは「勉強をして」と次第に思うようになっていったのです。
うーん、これは、三遊亭圓生の力なのかなあ。そうなのかなあ。
パイプ椅子は、その後(80年過ぎくらいかな)、なくなります。臨時の席は、消防法の違反になったのだと思います。
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