↓こう見るか、↑こう見るかで
選挙が違って見えます。
選挙の序盤予測です。
新聞と雑誌、まったく異なる二つの予測が登場して、大きな歌声
「ナンタルチーア」
という馬鹿げた空っぽの美声が、日本中の谷間という谷間に響いています。
では、新聞と雑誌、大きく異なる二つの予測とはどんなものか。挙げてみます。
新聞は「自民、単独過半数の勢い。安定多数へ」
雑誌は「自民、小選挙区で前回割れか、比例区はやや健闘」
これを数字に直せば、自民185〜260議席というなんとも幅のある数字になってしまいます。これではとても予測とは言えない散布状態です。
(実際は新聞が先行し、自民優勢というアナウンス効果をあげています)
(朝日だけが予測を出していません)
○
話しを進めます。
「どちらを信じていいのだろう」
「どーして、そうなるの」
萩本欽ちゃんも、これには大慌て(年寄を使かちゃいけませんよね)。
この原因は新聞と雑誌、二つのメディアの調査方式の違いにあります。さて、どう違うのか。
まず新聞、新聞は↓こう見ています。俯瞰の視点ですね。電話調査という手法がそれを支えています。パーッと投網を選挙民の上に広げ、データを取る方法です。
雑誌は↑こう見ています。前回実績を下敷に、ひたすら「影響のありそうな」要素を拾い上げ当てはめる、積み上げ方式です。
これ↓とこれ↑のどちらが信憑性を持っているか、ということに選挙予測の真実探しは尽きるわけです。
○
ところが、ところがです。前回、前々回の辺りから選挙予測は、まるで当たらなくなっています。無駄ダマ状態。特に新聞です。
それは、パーッと投網を広げるように網を投げるのだが、ほとんどの魚に網は届いていないという状態が発生しているからです。そうですね、感触で言えばほんの数パーセントの補足。電話調査は、もはやヒト桁の効力しかない調査方法となっています。
だから、まったく当たらない。
前回が良い例で、調査方法を修正した朝日一社だけが当たり、それ以外は大外れでした。(ちなみにぼくはドンピシャりの自民190議席という予測でした)
雑誌は、新聞より大分、善戦してしています。
けれど、人の手による積み上げ方式ならではの弱点も見せています。それはスイングする動きをつかみ損なう、というもの。全体で見る、大づかみで見る、大きな視点のとり方がどうしても半歩、遅れます。
○
今回に即して言えば、(くれぐれも仮の話ですが)
高市さんの人気が高く勢いを得て、自民がのびている。と新聞が先行報道したとしましょう。
雑誌は、この「のびている」という勢いの把握がうまくできない。量的にとらえるのが遅れるというのは、「人の目」調査なら当然なのだと思います。
では、どうしたらいいのか。実のところバンザイなのだと思います。調査は、どの方法も効率のいい最終点への接続法を見失っているのです。
という状態で、新しい予測方法ができない限り「これならいいか」程度の予測さえ不可能というのが実際で、選挙民は
「選挙とはわからないものだ」
という心構えでいるべきなのでしょう。これが、現状です。
○
自民党の事務局で選挙に長年、関わってきた伊藤惇夫さんの言葉、
「自民党の予測は、とても精度が高く(内部のものは自慢でした)、他の予測たとえば新聞社などの予測さえ、わたしからするとどこか軽く見えていたものです。
それにしても、結果(のズレ)がヒト桁に入ることはなく、どうしても二桁になってしまいます。
それくらい選挙の予測とはむづかしいものです」
というわけです。以前からこうだとすると、
「いやはやで」
いまはもっとハズレ状態なわけですから、当てにならないを前提にするのが正しい、となります。
そうすると「自分で予測する」これがいまいちばん妥当な方法とするしかないのでしょう。「自分の予測」を前提に、いわゆる予測を見る。この批判的な目線だけが、自分の平行線を作ってくれる、と、まあ、ぼくのあったりまえの意見です。
○
特注:今回、まだはっきりしない二つの不明ポイントがあり、それが最終の選挙結果を決める、ということなのでしょう。それをあげておきます。
�々盪埒裕い亘榲�に存在するのか、それが投票行動に影響を与えるのか。
��公明の「決心した投票行動」は見られるか、それは何時なのか。
この2点を忘れず観察する、というのが現実を見失はない方法なのでしょう。
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