サヨナラをする前に。
「ああ、わが戦友よ」ー立川談志10時間スペシャルより
この文章は、昨年、このページをはじめたばかりの頃に掲載した原稿の再構成です。
その時は、うーん、どうもよーく時系列なども含め理解してもらえなかった(らしい)。で、ね、加筆訂正しています。物事の前後が分かりやすくなったと思います。
この文の主題は、談志が持って生まれた宿命のような「辺境文化論」です。この視点をもって書かれたものは、ほとんどない。つまりね、談志をよーく知らないんだと思う。
「じゃあお前は知っているのか」
ほ、ほ、ほ、知っているもん。というわけで書きました。(本当かどうか、)
ぜひ、読んでください。
○
われながらビックリした。えーねぇ、談志の話が新年のネットによく載っているんで
「どうだったのかな、あの頃は……ぼくは、どうしていたんだ」
と自分の原稿を確かめていたら、死ぬ2年10ヵ月も前(この後に続く原稿で)もう予測していた。
まだ生きてるのに、その相手をつかまえて
「どうしたんだい、談志、お前、死ぬのかい」
と半分、泣いちまっている。
恐れ入ったねぇ。
「一体どうなってんだい、えー、どうしてわかるの。インチキ教祖じゃあるまいし」
とりようじゃあ、これ以上の迷惑な話しはないよ。黒枠の予定原稿だ。やもすりゃ逮捕される。
予測した原稿の掲載日は、2009年01月3日
実際に亡くなったのは、2011年11月21日
(確かに2年10ヵ月も前、いま見るとこういうのいいのかなあ、と自分でも思う)
だけんどもだ、いくら好きとはいえ死ぬ2年10ヵ月も前に「お悔やみ」はないだろう。家族は怒るよ。弟子の中にはバカの至近弾もいる。やもすりゃ、そいつが、トマホークを持って襲ってきかねない。いま思えば、こっちは、命拾いした。まだ無事だ。
読んでみると、わかる奴にはわかる、なるほどのカタマリだ。
オイラにはズキズキするほどよくわかる。
「物事のな、本質的なものを捉えているものを、うーん真実というな。
それを捉えりゃあ、自(おの)ずと答えは出る。
それができなくて、あっち行ったり、こっち行ったりしているのをバカという。別名、無駄な努力だ」
ハイ、ハイ、家元、ワッカリまーしーたよ。
「シー、どうぞお静かに。あなた、とうに亡くなっているんだから」
じゃあ、(2009年01月3日の原稿から)行ってみましようか。
○
「俺ら、東京の田舎っぺだから」
服部時計店の前で、談志が日本語上手の外人インタビュアー、パッくんに思わずつぶやいた。
あー、はじめてだなあ。よくぞ言った。何年間、何十年間しまっておいたんだろうに。言っちゃった。わかんねぇだろうなあ、けど、オイラには刺さるねぇ。
言うな、言うな、それ以上言うな、こっちまで泣けてくる。
談志よ、お前の70年が俺らの頭の中でグルグルグル空回り、空回りするたび目のウシロをこずかれていけねぇや。
わが戦友と勝手に思い込んでる、立川談志の10時間スペシャルをNHKでやっていた。正月2日の夜中だ。衛星でやったものの再放送らしいけど、ま、見ごたえはあったね。
しかし、まあ「いよいよ談志もいけないね、残しておかないと」とNHK思ったんだろうかね、10時間スペシャルとは。
よせやい、談志がいなくなるんて。
こちとら、中学生の頃から入れ込んで
「こいつが名人になるまで見届けよう」
と40数年なんだ。そうさっさといかれてたまるかい。
戦友だよ、戦友、勝手ながら。
野暮なものには野暮と言い、ヘボなものにはヘボと言い、既成に媚びず生きてきた戦友だよ。
まあ、しょうがねぇやなあ。
行くときは行っちゃうわけだから。
談志のよさってのを少し話しておくか。
談志のよさは、まず才気。これは誰でも言うことだし、すぐ目に付くことだよね。
あとは技かとなるのだが、ちょいと違うね。
談志ほど古い名人上手の調子を残しているやつはいないんだ。
落語だけじゃないよ講談、浪曲、俗曲、もう、やたらめったら諳んじているんだ。これが談志の語りの(端々じゃなくて)ほんの片隅に残っていてね、これがどうにもいい味をつくっているのさ。
待てよ、空気がついているってのが正しいかな。
ひとつひとつ話したくても、古くて言ってもわからないからなあ。次郎長の伯山とか、新内の富士松とか、伯龍の講談から起こした「小猿七之助」の名調子とかね。少しだけね、やってみせるよ、
「わかったょ。殺しなよ」
「…生まれりゃあ、死ぬんだ」
「惚れた男に殺されるなら、あたしゃ本望だ」
(七之助に詰め寄られた)芸者、お滝のセリフだが、ぞくっとする。目の前が、クーッと暗くなる。あー、いけねぇ、目ぇつぶってた。
ややわかりやすいことを拾って言えば、地の話は可楽の渋さ、女は三木助の淡さ、ついでに、バクチの符牒は「隼の七」こと三木助ゆずり。でね、諳んじたってことはそれだけ惚れ込んでいた。
けれどね、のめるほど惚れ込んだその名調子に飲まれることなく、談志の調子を作り上げた、そいつがエライのさ。コピーじゃないよ、本物だよ
「大変だったでしょう、どうしてそこまでがんばれたの」
「お女中、それは、お尋ねか」
そいつは、はじめの一行で書きました。
○
はじめの一行を聞いて
「こりゃ、談志はいけねぇな。本人、ほぼ覚悟をしたね」
とオイラは思った。掛け値なし。言いようがないほどのものだ。
はじめの一行はどうにも取り返せない談志の人生の「泣き」なんだ。言わないけどガキの頃から付き合っているオイラには承知、すっかりわかる。
小石川生まれで芸人のことはここでおぼえたという、けどどうもよくわからない。やがて蒲田界隈に移って、鵜の木がほとんどなのかなあ。そして東京実業という東急系の高校に入る。
「違うよなあ。東横線の運転手になりたいわけじゃなし」
1年も経たず突然、退学して小さんに弟子入りする。江戸前から離れていく自分の姿に耐えられなかったんだろう。
ある意味、談志は辺境の人だったんだ。つまり新撰組と同じということさ。
文化というのは衰弱してくると、周辺に純化された物が育つ。そうして文化は継続されていく。「辺境の文化」とか「周辺の文化」と言われる文化論だね。
「俺ら、東京の田舎っぺだから」
という言葉が、ほーら立派な文化論になってきたろう。
エライのはね、新撰組のように形だけを追わずきちんと勉強をした。落語の本質論だね。
いっとき談志の切れ味が鋭くなり過ぎて沖田総士のようになってきたし、土方歳三風でもあったかな。ここまで言えば言いたい放題の談志の種がわかるでしょ。でもね、「暴れる君」の最中でも、落語には謙虚だった。
「俺ら、東京の田舎っぺだから」
というコンプレックスを大事にしていたんだよ。
オイラには承知、すっかりわかる。てぇやんでぇ。
○
これは、談志の「落語文化」の半分です。
この後「イリュージョン」と「江戸の風」というテーマが残っています。ご興味がおありのようでしたら、これらも近々退治します。その上で、
「えー、お前(まい)さんは、人間が悪い」
「師匠、よしてくれよ。それじゃあオイラはやめる、この話し、降りる」
分裂騒動のあたりの誤解が多くわかりづらい行動。しかも、実のところ生涯、尊敬しまくっていた円生師に面(つら)ぁ、つかんで言われて我慢できなかった(いずれにしろ我慢はあんまりできない)。というあたりも書いてみます。
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