映画監督、岡本喜八の番組がNHKでありました。昨年の暮れ。生誕100年の記念企画です。冒頭でね本名が出てきます。とたんです、わたくし、大喜び。
画面に岡本喜八郎、と書いてあるじゃないですか、喜八郎です。岡本監督の本名は岡本喜八郎だと言うのです。まったく意味のない偶然の一致に過ぎないのですが、不思議にうれしかった。
あの「肉弾」の岡本喜八と同名とは感激です。同名なんてなんの意味もないが、ぼくはあのATG映画「肉弾」を尊敬していてね、その続きでなんとも言えぬ喜びが生まれちゃうんですね。子供っぽい人間です。
○
「兵隊さん、死んじゃいかんよ」
両腕がない、(なんとか想像してもらえないか)両腕がないんですよ。
本を読みたくて古本屋に立ち寄ったその店の店番のおじいさんの両腕がない。
「え、え、ー」
学徒兵の「あいつ」は驚くが、ところが反対に「死んじゃいかん」と声をかけられる。途端に合図のように空襲になる。
防空壕がわりのトンネルに駆け込んで、やがてサイレンがおさまると、おじいさんは小便をもよおす。
それを「あいつ」こと寺田農が手伝う羽目になる。なにを手伝うと言えば、両手の役目をするんですね。画面の下に切れているのだが、つまり(自分のじゃない)おじいさんのホースを出し、それを支える役目。
「うーん、ふー、こいつはいいもんじゃ」
人の手にホースを支えられながら、高らかに放出していく音。しぶきをあげる、解放感。
下を向きホースを見つめている「あいつ」に、またおじいさんの声。
「兵隊さん、死んじゃいかんよ」
古本屋のおじいさんは笠智衆で、あの、のうのうとしたセリフに戦争と軍国にカッカしていた学徒兵の「あいつ」は不意に毒気が抜けてしまう。少しほうけた顔になる。
寺田農のぼけ顔はよかったなあ。何かにとりつかれている人間が解き放たれる。その顔だ。
岡本喜八の作品は
「悲劇も喜劇もあるが、半分は戦争に関わっている」
と本人が言っている。岡本喜八は、何を追い求めて戦争を撮り続けたのか。
それは、この何かにとりつかれている人間が解き放たれる顔を描きたかった、のではないかこの映画「肉弾」を見る限りそう思う。
1970年前の暑い夏、新宿ATG。
寺田農のぼけ顔は、たくさんの学生のこころを揺らしたのだろう。
任侠映画の主人公を自分と思うか、「肉弾」の「あいつ」になるべきか。もっとストレートの方がいいかな、
「高倉健か、寺田農か。お前はどうする、さあ、どうなんだ」
という突きつけなんだろう。
みんな「健さん」を選びたいのだろうが、なにかこう「こころ残り」が出てしまう。その「こころ残り」の代表として「あいつ」はいた。
ぼくが、どちらにしたかはともかく、ここでクッションをつけたのは岡本喜八の歴史的意義だと思う。一本調子にさせなかったのだ。「誰のために」を考えさせる、クッションを見事に作り出したのだと思う。
古本屋のおばあちゃん、つまり笠智衆の奥さんは北林谷栄でこの映画には(現在まで含め)日本最高のジジババが出ていたことになる。
「みんな、帰って、来んのよ」
と言う北林谷栄のセリフの奥の深さ。奥歯のところで一度、転がるような発声が見事に時の経過を感じさせます。
「あんた、にゃぁ…」
なかなか声が出てこない、回想ような声の調子です。
大谷直子の(大話題の)全裸シーンもあった。雨の中を全裸で駆け出していく少女。遠去かる青春。
「あー、もういい。もうこれでいい」
「あいつ」に死ぬことの日程がはっきり入ってくる。
九十九里浜で、タコ壷に入って敵を待つ「あいつ」。対戦車地雷を抱えて敵を待つのだが、なにも来ない。
「作戦の変更だーッ」
タコ壷の上から、上官が怒鳴りつける。
今度は洋上待ち伏せ作戦だ。(ここからのシュールさがこの映画の真髄、時の旅だ)
沖でドラム缶に魚雷を括り付けられて敵を待つ「あいつ」。
「ここで本土防衛だ」
プカ、プカ、けれど、沖に漂ううち、魚雷はポロっとドラム缶から外れ、まるでゴム動力のおもちゃのように自分から離れていく。
シュル、ル、ルー。手を振り呼び止めても、魚雷に聴く耳はない。
「オーイ、オーイ、どこへ、どこへ行くんだー」
ごくごく小さなスクリュー音、水しぶきは遠去かる。
また、寺田農のほうけた顔。(するしかない)。
「な、なんだーッ、こいつ」
熊手で、突然、手繰り寄せられる。
沖で「し尿処理船」に助けられた「あいつ」、この処理船の船長が伊藤雄之助。これほど人間臭い名優はいないなあ。「し尿処理船」が一気にリアルになる。
「そうだね、処理船とはきっとこう言うもんだ」
と理解してしまう。とてつもなく汚い帽子に、ススと「し尿」がこびりついた頬、鼻を一度つまんで、(うッうーん、臭そうだ)
「おぉい、わかったか。じっとしてんだぞ」
と(臭そうな)ロープでつなげ、「初代・文句いうの助」こと伊藤雄之助はジロリ。
(という具合で見て欲しいとこだらけの映画だ)
やがて曳航するロープがハズれ、「し尿処理船」からも離れて行き、漂流しはじめる「あいつ」。
プカ、プカ、プカーッ。
(だいぶ時間がたったはずだ。どうなったんだ。時間が不明になる)
漂流するドラム缶に静かにカメラが近づき、レンズがグイっと中を覗き込むとドラム缶から、ハミ出すような大きな声。
『バカ野郎ーっ』
カメラはせり上がる。声はそのまま、突如、現代の(と言っても1970年前の)江ノ島に響くんだ。
黒シャツ、黒ズボン、黒ずくめの監督、元学徒兵・岡本喜八郎は鶴のような痩身の体をそらせ、エキストラと一緒になって、江ノ島海岸で叫んでいる。
『バカ野郎ーっ』
オイラもあの日の新宿で、叫んでいた、かなあ。
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