えー、フジで臨時取締役会が開かれ、終了後、記者会見がありました。世間の期待から比べれば、大したものではありません、
「どんな具合ですか」
「まー、ボチボチです」
こんなとこです、やりとりされていたのは。
どおボチボチなのかと言えば、
「サラリーマン社長としては目一杯やっている。けれど世間はそんなこと忖度しない、お構いなしだからね、不発扱いされるだろうな」
というようなことですね。
では、では、会見の中身、それは、二つのテーマでできています。
ひとつは、日枝久氏の退任。
もうひとつは、役員の刷新ですね。
「必要にして十分じゃない」
これが採点。でもねぇ、「勤め人じゃあ、これ以上はできないんだろうなあ」というやや複雑な感想もついています。
いつだって自分を超える大技(大物)は出てこないわけですから、ま、こうなります、この程度になります。
○
まず、「日枝久氏の退任」。これは、必要なことだけど十分なテーマではないのです。
時間が経ったこともあります。それより、日枝久氏がなぜ記者会見に出ないか、という質問に
「お前たちがやったことで、俺には関係ない」
というコメントが出て(意外でしょうが)それなりに受け止められていた時点で、必要だがもはやメインではないのですね。
「そりゃあ、そうだ、ま、しかしやることはやらんと」
というのが世間の期待値だったのではないでしょうか。
○
新人事ですよね。これ、きちんとしたものだと思いますよ。ひとつひとつ説明を聴けば、ほぼ全員説得されるでしょう。間違いない。でも、どこまで行ってもなにか足りない。それはね、
「目玉がないのです」
またも、「必要だけれど十分ではない」のです。この目玉がない様相を、昔の言葉にすれば「画竜点睛を欠く」になります。
世界の4大コンサルだの、大学教授だの、ほぼ権威を軸足にしている。これが「弱さ」ですね。金光さんなぞは、やや上気して
「これで、すべての条件を満足させた」
という顔をしているように見えます。
「勤め人」なんですよ、ある程度のレベルまでいっちゃうと安心を判断の基準にするのです。答えから言えば
「世間は安心を求めているんじゃない」
「よく、やってくれたなあ」
というある種、大きな幸福感を求めています。それには、なにも答えていない。
「わかるかなあ、わかんねぇだろうなあ、イェーィ」、松鶴家千とせです。余分です。
○
「ま、このまま行けば、それなりになんとかなる」
なるかもしれない。ところがね、大ネタが開いていない。第三者委員会の結果待ちだから仕方ないのだが、騒動の核心は「フジの企業風土」と特定される調査結果が出れば、上の二つのテーマくらいではとてもすまないことは明らか。
ガッシャーン、入れ物が壊れちゃうんですよ。
�,�ら�イ�5段階評価を以前、ぼくは出しました。�イ蓮屬修發修皀侫犬隆覿班�土が生み出した」という評定で、アウト評価です。�イ良床舛世辰燭蕁∈�新とか改造ではすまないわけですね。存在自体が悪だから、はい、消えてなくなれです。世間風に言えば、
「(売り飛ばして)新しい人にお任せなさい」
ということになります。
この開けちゃいけない蓋を押さえているのが
「はい、グランド・ハイアットの領収書でしょうか」
となります。
ぼくは、9,000万円の示談金もフジ払いと見ていますので、こちらの領収書のありかも知りたいところです。
○
というような事態の中で、(かすかにこぼれてくる)第三者委員会の結果は相当きびしいものとみられています。
役員の一新で、旧役員はFMD・FTV合わせ2名しか残っていない。これを明かせば、もう人事では打つ手のない状態ところまでやっているのですね。(悪い言い方ですが「勤め人」としては限度いっぱいでしょう)
さあ、どうしたらいいものか。画竜に点睛する作法とは、なにか。
点睛、筆で黒々と姿に目を入れるのです。すると命を得て動き出す。だいぶ前ですが、「高橋尚子を社長に」と書きました。これはねぇ、実にいい点睛なのですが、わかってもらえなかった。
仕方ない、そこで、大技です。
これ以上のない大技。
新社長は、倉本聰氏です。
あー、これでもうぼくはなにも言うことは無くなった。(ぼくには)文句なしだからです。
人事は表現です。社会への表現です。カメラの入らない記者会見をやった大馬鹿フジは、この人事で世間の思惑を超えていく新しいフジになるのです。
大きな人情、熱い正義のフジになるのです。文句なし、です。
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