「10足す10はいくつですか」
「…うーん、どうもわかんねぇ」
脳溢血で倒れた老人が悩んでいる。
「そうですか。わかりませんかぁ、ではですねぇ、
10円足す10円はいくつですか」
「はい、20円です」
と即答したされるのが、ケチで有名な桂文治(9代目)。有名だよ、冷蔵庫さえもったいないからって、わざわざ隣の正蔵のもの使っていたくらい。
「本名、高安留吉。下町だ、職人の名前(めぇ)、留さんだ」
「いい名前(めぇ)だ、こんな落語家らしい名前(めぇ)はないよ。最高だよ」
立川談志は、自分の終(しま)い間際、ベタ褒めだった。
けれどね、元気な時はどこからもヒドイ評価だった。ゲテモノ扱いだったんだよね。でも本人はまるでおかまいなし。
時は、文楽、志ん生、円生の名人の時代。その時代にねぇ、
「お前さん、エデンの東の方から来たんじゃねぇのかい」
とやらかすんだ。
あたりかまわずのクスグリにお客さん、どっと前のめり。
「おい、なにか悪いものにあたったんじゃないか」(これ、ぼくの評)
古典派でもない、新作でもない、唯一無二の(ぼくがつけた名前だが)アナクロ派だった。
ヘチマみたいな顔の爺さんが「エデンの東」だよ。どの面(ツラ)から出てくるの。
「『悶え』っていう映画、あの映画に出てる若尾文子って女優がね。すけべったらしい目つきでね。ああいう女優、あたしゃ大好きなんすよ」
なんてのを平気で差し込む。
他にはいない、いませんというか(恥ずかしくて)やらない。
「談志絶倒 昭和落語家伝」という本がある。田島謹之助が人形町末廣で撮った噺家の写真に談志が文をつけた本なのだが(昭和の名人は全員、入っている。お見事な本)
「さあねぇ、この中で誰をひとりもう一度、聴きたいかと言えば…うーん、うーん、留さんだなあ、今になってみると残して置きたかったなあ」
談志の(人を褒めたくない)韜晦した心中はあるにしても
「これ、嘘をついてないよなあ」
と素直に思わせる一言です。
「最近はねぇ、貧乏人って言わないんですよ。プロレタリアなんすから」
「えー、えー、ここにはプロレタリアはいませんよ」
「だけどねぇ、昨日はヒドかった。プロレタリアばっかし」
「…なんてことない明日になればねぇ、みなさんがプロレタリアなんだから」
当時にしたって、プロレタリアは(学生以外は)断然のアナクロだよ。平気なんだ。平気が作り出す面白さ。
「あーた、ねぇ、落語が日本を支えているんですよ」
「落語がなきゃあカンボジアみたいになっちゃうんですから」
どーも勉強になるような、ならないような。絶妙なくだらなさ。
つまりねぇ、東京の下町は「勉強になるような、ならないような」面白い街だったということなのでしょう。
「師匠、天丼はどこが良うがしょ」
「天丼はねぇ、勧銀(いまのみずほ銀行)ですよ、あーた」
「…え、え、えーっ」
よーく聞くと、当時の勧銀には「天丼の日」というのがあって、大口預金者を招待して特別に別室で天丼を食べさせたらしい。文治師匠、いつもさっさと呼ばれちゃう。噂では、稲荷町支店の大口預金者だった(らしい)。
「…ぷっ」
「お前(めぇ)たちなぁ、なぁにぃが、お〜かしいんだ〜、え〜」
正蔵師が、あの「ふるえ声」で前座を叱る。その合いの手からしておかしい。どうにもこうにもくだらなーい話です。
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