『「空気を読む」とどうなるのか』というだいぶ前の原稿を修正しようとしていた。フジの話につなげようと思ってね。
けれど書いているうちにコロッと横道に出ちゃった。
「上を向いて、歩(あ〜る)こうよ」を思い出したら、おかしくてね、たまらない。
高度成長の前だ、はなはだ貧乏な日本のおじさんがモゴモゴ「上を向いて、歩(あ〜る)こうよ」を歌っている姿を思い出したら、おかしくて悲しくて。
おじさんたちは、ほとんどがヒラで薄っぺらい背広を着て、
「上を向いて、歩(あ〜る)こぅうぉよ」
と歌っていた。
永六輔が坂本九に近づいて
「ぼくの歌を変な日本語で歌うな」
と怒ったという、あの抑揚のついた歌いかただった。
「ほとんどがヒラで」というのは、高度成長期の前は人が増え続けた時期で、どこの会社も「ほとんどヒラで」できていた。だから、どこの会社でも「課長」という名前がしっかり輝いていた時代だ。
「上を向いて」の上というのは「課長」のことだったんだろうか。
その頃、フジは河田町にあって、ぼくは渋谷→早稲田のバスで通過していた。「ル・ポール」という喫茶店がフジの入り口のゲートの中にあって目印になっていた。(ゲートの奥は真っ直ぐ広がる駐車場、
「ワシのクルマになにすんねん」
後にさんまのローバーが惨劇に会うところだ)。真ん前は若松町の朝鮮上級学校、左隣は女子医大。
女子医大の中央のロータリーでは、吉岡彌生先生の銅像があって(箒を持っていた気がしたけどなあ)。
ぼくの同級生の家が曙橋の向こう四谷側、荒木町で寿司屋をやっていて。荒木町の横丁はすぐにフジ関係の人たちで賑わう芸能遊び場になっていった。
「きのう、ザ・ピーナッツがきたぞ」
と同級生が仲間に教えていた。
小さな西麻布ができかけていた。
荒木町の入り口の反対には、お客さんが入ると
「ドーン、ドーン」
と玄関の太鼓を鳴らす「本陣」という旅館があって、これも隠れた名物だった。それがバブル期には丸ビルとなり、いつまで経っても未完成で特大の野晒しだった。
すぐ近くの牛込・柳町では光化学スモッグが発生したりして、なにかと話題に欠かない界隈だった。
バスは、渋谷側にだいぶ戻ります。
神宮前にあったヤシカ本社が京セラビルに生まれ変わり、ホンダ技研が入った。その頃、ホンダでは「上を向いて、歩(あ〜る)こうよ」はよそうという「かけ声」があったそうだ。上を向いて仕事をすること、ゴマスリはよそうという呼びかけだ。ホンダらしいと言えば、ホンダらしい。
実際「上を向いて、歩(あ〜る)こうよ」のギャグは、「日本一のゴマスリ男」に入れ替わっていたし、企業は手作りからライン生産の時代に入っていた。
その頃から、仕事の手作り感は日本のサラリーマンには戻ってこなかった、ような気がする。
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