「さあ、抜け。銃を抜け。腰抜けと言われたくないなら、銃を抜け」
「子供をいたぶるしかできない、あんたのちっぽけな銃だ」
「赤く錆び付いているか。銃身はしなびて地面に向いているか。さあ、出してみろ、見てやろうじゃないか」
「ほら、はじまるぞ、まもなく決闘の時間だ」
「あんたの臭い銃を、ここで砕いてやるぞ」
○
アメリカ・ネバダ州で二人の元ジャニタレが提訴した。もうこれだけで、この訴訟は決闘で、ジャニー一家が次々と打ち倒されていくのが目に見えている。悪党揃いのクランクトン一家のようにね。
430億円という巨額な慰謝料、時効なしという法的効力。これなら、そして、これで、正義は顔を出せる。ぼくのように思った人はたくさんいたんじゃないだろうか。
○
ジャニーズ問題の腹立たしさは「痛くも痒くもない」悪党を処置できないところにある。
賠償をする。ふーん。「痛くも痒くもない」ポケットから金をつまみ出し、(見たわけではないが)放り投げるように投げ出し、何もなかったようにまっさらにしていく。
それのどこに正義があるのだ。
○
有り余る金、「タレントには罪がない」という小児的言動の女たち。女たちがグルグル回すお金。
このバカバカしい循環を断ち切る方法がアメリカでの訴訟なのだろう。
簡単に言えば、洗いざらいポケットを裏返しにさせた東山にさらにケンケンをさせスッカラカンを確かめて、ジャニーズに消えてもらうことだ。名前を変えたり、隠れ会社なぞも一切残さない。正義とは、このような状態だと思う。
○
ジャニーズも抵抗するだろう。
「アメリカでの訴訟は、訴人が過去も現在も日本在住であり有効とは言えない」
「訴訟の無効を求めて、仮処分を申請します」
と、まあ、この辺からはじまるだろう。
そうしたら、
「ジャニーズ関連各社へ財産保全の仮処分を申請する」のはどうだろう。
活動を制限し、金額の移動などをおさえにかかるのだ。
ホテルを訴訟対象に加えたのも、「アメリカでの事件」であることを強く主張し、「アメリカ逃れ」を許さない訴訟の構成と見たのだが、外れていないと思う。
○
ネバダの決闘は、開廷さえできれば訴え側の勝ちは目に見えている。法律と引き合わせてみれば明らかで、
「ほとんどの弾は外れようがない」
のだ。
○
その核心は、実損填補を越える懲罰金の適用だ。いくら実損の金額を積み上げても、実にジャニーズは「痛くも痒くもない」。これが日本の実情。泣けてくるところだ。
では、懲罰として考える。
そうすると犯罪で得た金額の全体から金額を演算できるのだ。だから、とことんお金を積み上げることができる。
「ジャニーズ各社は430億円、儲けたのだからそのすべてを被害者のために供出しなさい」
という論理さえ可能というわけだ。
○
だから、ぼくは決闘をけしかけるのだ。
「さあ、来い。銃を抜け」とね。
繰り返せば、開廷さえできれば訴え側の勝ちは目に見えている。(時効を前提にしたため)すでに罪は認めている。だがネバダには時効はない。これが、決定的なところなのだろう。
逃げるジャニたちを逃さない、法廷まで引きずり出す。「情婦マノン」の後ろ足のように、ネバダの砂漠にズルズルと足を引きずらせる。ヒールが脱げた足跡が長々と伸びている。その日は、いつ来るかなあ。
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