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2024年12月05日04:02

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冬の雲。

 あっという間に冬の空になっていた。なにもない空、すっからかんの空。
「ずい分、空が高くなりましたね」
 美術評論の中野京子先生が外人に言うと
「京子、ナニっ言ってんノ。季節によって空の高度が変わるわけないデショ」
とそのジンガイにたしなめられた、そうだ。

 そういやぁ、そうだが、ジンガイの現象一辺倒と比べ、日本人の印象派ぶりというのは捨てがたいものだ、と思っていたら一句、浮かんだ。

 冬雲よ
 ぼくにはぼくの
 空がない

 凛とした冬の空気を孤絶した孤独感と捉えるのはよくあるのだが、茫洋とした孤独感(少しかっこつけすぎなので言い換え)ボーっとしたフワフワの孤独感を発句したものですよ。ぼくには、この語調の幼稚さが気に入ったわけです。

「えー、おいちゃん、おばちゃん。ないのぉ、オレのメロン」
 到来物の高級メロンを頭数で切って、いつもの上がり框(がまち)でみんなそろって食べはじめたんだなあ。
 そこへ寅が戻ってきた。一同、慌てる。
「お兄ちゃん、これ、私ひと口食べただけなんで食べて」
「兄さん、ぼくのをどうぞ、どうぞ」
「どうしてオレがお前たちのツバキが付いたもの食べなきゃいけないの……え、あ、そうかあ、そうなのかあ」
 ここで寅の幼稚な孤独がはじまるのだが、ぼくには寅というより渥美清、本人が持つ孤独とは実はこういう孤独のことじゃないのか。そう思っていた。

 孤独と言うものがいつもカッコ良くて文学的なものであるわけはないわけで、実はミジメだったり、だらしなかったりするという素性を、ま、渥美清もぼくも再現しようと結果的にやっていたのです。

 どうしてなの
 ぼくにはぼくの
 メロンがない

 と言うバカげた孤独です。なんか笑えるね。

注:到来物という言葉は、向田邦子「父の詫び状」に出てくる印象的な言葉です。
  忘れないようにとわざと文中に使いました。気がついていたら向田通です。
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