淋しいのはお前だけじゃない。
なんていいフレーズだろうね。これかつての西田敏行主演のドラマのタイトルだから、『淋しいのはお前だけじゃない』と書くべきなんだろう。今見ても、惚れ惚れするよ。
脚本の市川森一が考えたものなんだろうけど、ぼくには西田敏行が貼り付いてしまって、もはや剥がれない。
1982年のドラマ。西田敏行の出世作。なにが西田敏行のドラマでベストかと言えば、ぼくはこの『淋しいのはお前だけじゃない』をあげる。月並みだけど画期的なドラマだった。
ぼくが思うテレビドラマのベストスリーといえば
『楡家の人々』(TBS)
『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS)
『龍馬伝』(NHK)
の3本になる。昨日今日じゃない、おおよそテレビ70年の歴史を通じての3本です。3/70年となるのです。
どれも見ていないって、そりゃあ、あなた人生を無駄にしている。残念でしたね。ベスト3本の話は今度として『淋しいのはお前だけじゃない』の話を続けるよ。
なにがすごいかと言えば、二つに集約される。
まるで善人が出てこない。因縁持ちのオンパレード。主役の沼田薫・よし江の夫婦(西田敏行・泉ピン子)にしたところで、本人も借金だらけの弱小サラ金。
「貸したお金は返してくださーい。
あなた、逃げてもダメですよー。
私がねぇ、ずーと追いかけて行きまーす」
などと債権者の家の前(団地)でハンドスピーカを手に大声で叫んでいる。
それが悪徳金融屋に脅され、金融屋の女を追うハメになる。行き着くところが四万温泉、大衆演劇の一座だ。そこに来るは来るは、問題人生の人たち。
萬田久子に惚れ込んで離れない老人、実は先立たれた女房の幻を追うようにやってきたことが後からわかる。あー、切ないなあ。
時空を超えていく構成。大衆演劇の舞台が現実に交錯するように、劇中劇が進行します。これが画期的。例えば実際の親子探しが「瞼の母」の舞台に転化していく立体感。サラ金苦などの現代の悩みが大衆演劇というアナログの世界に取り込まれることで、にはかに人情味を帯びてくる。いつの時代でも、
「人の悩みはそうは変わらねぇ」
と自覚させ、他人のことに無関心を装う現代人を、
「そうはさせねぇ」
とばかりにズルズルと問題の中に引き摺り込む。この「引き摺り込む」という動作だけでもこのドラマの意義があったと思う。
どだい「引き摺り込む」ってのは、ギリシャ以来の芝居の夢そのものなんだ。
(『タイガー&ドラゴン』の「どん兵衛師匠」の渾身の芝居もあげたいのだが、劇中劇という手法のはじまりということで『淋しいのはお前だけじゃない』をあげざるを得ません)
このドラマ、スタートからの視聴率の低さから局内の評判は悪かった、らしい。みんな、どことなく(関係を恐れ)逃げていたとされている。ところが終わって見ると絶賛の嵐。この年の賞を総なめにした。だけれどテレビドラマの流れは曲がっていく。トレンディドラマの方にです。情けない。
(タイトルに沿うのじゃないが)人ってのは、ほとんどが淋しく生きている。
西田敏行はこのホントを知っている人だったんだと思う。いや、このドラマあたりで自覚しはじめたのかな。芝居がすっかり変わってくる。いつも半分、泣いている。(探偵ナイトスクープは毎回、泣いている)
この切ない人生のホントを紛らわすのは、(笑わないでよ)宴会しかないんだよ。西田敏行の宴会好きは、このあたりからはじまった。かつても、かっても、男はそうして生きてきたし、西田敏行もそうだった。
だけどいつかはお開きの時が来る。
「今日は、これで」どころか
「人生は、これで」の日がやって来る。
「メロン、食べ過ぎたかなあ」
とか言いながら画面の奥に、西田敏行が遠去かっていく。
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