自民党総裁選が近まってウナギ犬の大行進だ。
もうウンザリするね。出てくる奴、出てくる奴、みんなウナギ犬。
少しはまとまったことをしゃべらせたらと思ったのだが、これがどれもニュルニュル。掴みどころがない。しかし口だけは大きくて、でも肝心のところは粘液だらけニュルニュルだ。
写真を見てもらおう。はい上、ご覧の通りです。
「ひゃー、こうしてぼくは生まれたのだー」
などと大仰にしゃべり倒す。そして、危うくなるとニョロリと身をかわす。これが得意技。半分ウナギだからね。
赤塚大先生が考え出したウナギ犬ですが、生きてるコピーが出てきちゃって、のさばっているんだな、ああ、永田町。
「ごはんトーク」というのが有名になったのが加藤元官房長官。ウナギ犬はそうした人種の生体モデルになっている。その実体はニュルニュル人生なんだ。
まず最初に出馬宣言をした若手ホープのトークから。
(裏金問題に続く、自民党の体質について伺います)
「いま政治資金規正法の改正に努めています。何より透明化が大切と考えています」
(それで問題解決できるんでしょうか)
「もちろん道半ばでございまして、引き続き努力を続けて行くしかないと思います」
これ、およそ無内容ですね。透明化などという抽象語を使うことで結果を「採点無用にしてしまう」など小技に溢れています。
「大したことはしないよ、もともとその気もないし、でも、ぼくのことは覚えておいてね」
というあからさまに言えば、空ネタですね。
さてさて、こうした人種をどうしたら良いものか。(名付けて)ウナギ犬議員の起源を探ってみるのだけど、
「これはねぇ、東大法学部だねぇ」
というのがぼくの直感的結論。当たっていると思うよ。
かつて国会答弁で政府側委員(官僚のことです)が
「そのところにつきましては鋭意、調査中でありまして」
とか時間ノバシをし、もっときわどい森友問題みたいなものについては転嫁ですね
「司法の判断を待つ方法もあるのではと思います」
などとやってきました。
この官僚トークがそのまま議員トークに成り下がってきた、というのが実体ではないだろうか。もっと直接的に言えば、(東大出の)役人の政治家進出率が上がってきてこうなった、と見通します。数字を見れば明らかですよ。
この惨状は東大法学部の「成り上がりイズム」が引き起こしている、というのが現状の「ウナギ犬の時代」の原因です。
では有権者はどうしたらいいのか。
「選挙で落とす」
これが民主主義の王道なのですが、これが
「なぜかうまくいかない」。「どうしよう」。
それはある行動規範を投票の際の鍵にすること。これで相当解決します。
(できたら、だけどね)、えー、それは何か。
はーい、それは「潔さ」です。
「潔さ」を持たない発言は嘘と同じです。
まずここを確認しましょうよ。ここがキモ。
「潔さ」を持たない発言をする人は常に言い逃れを用意しています。屁理屈でもいいから言い逃れる、というのがその論法の正体。ほら「ウナギ犬トーク」の常道ですね。つまり発言のはじめから嘘が用意されています。そもそもが、したたかな嘘つきです。
あの有名な霞ヶ関が国会にやマスコミに送り出す文書、Q&Aは、まさしく言い逃れの教科書。東大法学部を出た若い役人は、ほぼ終日、このQ&Aの作成に追われ、徹夜をします。つまり、ウナギ犬養成ギブスですね。
この頃、国会対策で毎日徹夜が続く。
「馬鹿なことしてるなあー」
と人生を悔恨しきりとなるそうですが、その分、権力への執着は見えないところで増すばかり、だそうです。
もうひとつ言えばQ&Aは、骨になる規範を有していないのですね。骨なし。ただただ「あー言えば、こう言う」録に過ぎないのです。
戦後社会は、(戦前の反省を込め)過剰な精神主義に立ち至らないようにそれこそ過剰に注意をしてきたのだけど、それをいいことにあまりにプラグマッティクな奴が増えちゃった。なもんである規範を持ち込まざるを得ないんじゃないか、と思うのです。それが「潔さ」を」提示する理由。
もちろんほとんどの有権者は、しっかりした規範を持って生きています。ところがね、政治家は空っきしだ。この乖離がいちばんの問題なのだと思う。裏金問題ではこの「乖離が問題だ」と何度も繰り返された(石破氏の言葉)だけど、実はもう少し具体化すれば「潔さ」が乖離の正体であることに手が届きそうになっていた。
惜しかったなあ。もう十人ほど、その上もう一段階、処分を強めれば、もっと見えてきた(と思います)。
なもんで「潔さ」がアカンベーをしている政治家の口にグイと押し込む、(少し臭う)タオルの役目をしてくれればと思うのです。
むせるくらいでちょうどよい。
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