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2024年07月25日05:04

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流星のひと。51 誰が藤圭子を殺したか。

「音楽があたしを取り巻くんだ。音のいいところ、響きのいいところで歌ったら、それは凄くてね、響きが返ってきて自分で自分が包まれるんだ。そうすると、なにかが自分を軽くしてくれて、なにかもなくなるよ」
「こんなに幸せなことって、他にあると思う。ないよ、ないのさ、あたしには」
「もう歌うってことがないとわかった時……これからなにをして生きていけばいいと思った。もう自分には幸せは来ないな、としばらくして気がついたよ」

 藤圭子は、本心のところは歌いたがっていた。
 子供の頃から、たくさんのツラサを抱えて生きてきた。けれど歌えば解放される。それは、背中に見えない翼を持った藤圭子になることだ。
 1970年10月、藤圭子は都電通りの「自由の女神」だった。見えない翼とマスカット銃を担いで都電通りを行進していた。自由は、明け方の光のように圭子の背中に反射していた。
 1980年、(はじめの声は)引退公演の後に語られた言葉だ。
(かつてはこう言っていた)と括られる言葉だが、人のこころはそうは変わらないものだろう。(あたしはいつか歌うんだ)と藤圭子は密かに思っていた。還暦を過ぎると歌の人生の緞帳がスルスルと降りてきたような気がしたのだろう。頼りたくはない、けれど最後は頼るしかない、石坂まさをは死んだ。
「ヒカルのために」という呪文を打ち壊してくれものは、ついに現れそうになかった。

 都会の、西新宿の13階に絡めとられ蜘蛛の糸で宙吊りになった自分にはこころの底から「もう幸せはこない」と思えたのだろう。
 石坂まさをの偲ぶ会には「出席する」と返事はしたのだが、期日が近づけば監視人を通じ
「人前に出ない方がいいよ。ヒカルのためだから」
という連絡が来るだろう。
「いいよ、もうなにもしないから」
藤圭子はかすれた声で呟いていた。

 一切、食事を摂るのをやめた。
「純ちゃんはね、食の細い子で、一日オニギリひとつぐらいしか食べないのよ」
 そうずっと心配していた伯母の言葉はもっともっと深刻なものになっていた。
 どんどんと日痩せし、
「ハイヒールを履いた、とても綺麗な女性(ひと)でしたわ」
という同じビルの人の声とはほど遠いものになっていた。

 けれど食を摂らないという消極的な自死は
「偲ぶ会には、とても間に合わない」
日付まできてしまった。ためらう気持ちもあったのだろうが、残りの選択はそうはなかったし、そこで相談する相手もいなかった。

 どうして相談する相手はいなかったのか。
 ぼくなりの答えを出してみよう。それはね、悲しいほど簡単な結末だ。携帯を取り上げられていたからだ。
「自分で勝手に携帯を解約しちゃって…」
というヒカルの声はかなり前で、ほとんど記事は、藤圭子は
「ある事情で携帯を持っていなかった」
と記載されている。

「ある事情」とはなんなのか。はっきり書いてあるものは見当たらない。もちろん今となっては答えは出ないし、探りようもない。しかし、ほぼそれは想像通りでしかないのだろうと思う。
(あれこれ話すとヒカルが困ることになったら、どうすんの)
というようなやり取りがきっとされたのだろう。世の中との接点は電話しかない藤圭子は夜中、13階を抜け出すように公衆電話に通う。手には、こぼれるほどの硬貨を持っている。電話は、何時間にのぼることもある。終わった後、
「今度、連絡するときはどうしたらいいの」 
「その時は宇多田に連絡して」
 これが「ある事情」の答えと見做していいのだろう。藤圭子の電話は管理されていた。

 藤圭子は、携帯を取り上げられていた者に殺された(自殺に追い込まれた)。というのがぼくのすべての答えです。なんとも味気なく、周到な劇は、西新宿で宙に舞い終わった。
「たかが電話ことなの、そんなことで」
 人は小さなことで救われるし、絶望に追い込まれる。片方の掌に乗る携帯の重みが藤圭子の果敢な人生を、地上に落とし動きを止めさせた。

「だめだ、浪花節なんて古くて」 
「おじさん、あたし歌うよ。大丈夫だよ」
 父と母のために歌いはじめた藤圭子は、もうひとりの自分ために歌をやめた。残念なことは、そのもうひとりは少し藤圭子のことを疎んじていたことではなかっただろうか。それは、彼女の父親が作り上げたスタンスをそのまま踏襲していた、それを誦じていたことから生まれる不幸なのだろう。

 あまりに強すぎるなら油断でもいい。

「林檎がいい、おっ母(かあ)の歌がいい」
 アンコールのリクエストの時にそう茶化していたそうだが、宇多田ヒカルは母親のために歌わなかった。
 そこが、藤圭子と違うところだった。

 ー終わるー
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