mixiユーザー(id:5708627)

2024年06月21日03:10

100 view

流星のひと。49 (高倉健のように)死にたい。

               1

 何ひとつ言い訳をすることなく、去っていく男の姿。かすかに半身になり顔が覗くのだが、振り捨てるように去っていく。ただそれだけで何の言葉もなく、去っていく。背中にはうっすらと雪がかかっている。

 もうラストになってきた。
 この藤圭子の最後をどう言い当てたらいいのか。ぼくはハタッと困っていた。一行で語り尽くせる言葉はないのか。ほぼ一週間くらい考え続けていた。
 歌姫の転落、というような雑で俗な言葉に託して仕舞えば一応は簡単にすむのだが、とてもそんな薄っぺらな出来事とは思えなかった。あまりに錯綜した人生を、取り散らかしたまま死ぬわけにはいかないし、まわりのましてや娘のせいにすることなんて、到底できることじゃない。だから正義の少女、藤圭子が意図し、あつらえた死に方は、(高倉健のように)死にたい、だったのだ。

(高倉健のように)という比喩も字面は俗なのだが、その死の実際を知ってもらえれば、いかに実感を捉えたものかで、俗は離れていると感じてもらえるような気がする。だから、そう書かせてもらった。

 実際に高倉健が亡くなった日時は 2014年〈平成26年〉11月、藤圭子が自死する一年後。真似ができるわけもなく、それは死に方の比喩で、藤圭子はただただ寡黙に高倉が演じる「英さん」のように死んだのです。

「私は誰にも知られずに、消えてゆくように死んで行きたい」
 アサ芸プラスで阿部公輔記者が伝えているこの言葉は、この後、ほぼ同じ内容で何回か語られいるのだが、藤圭子は言わば「約束通りそれを実行した」と考えるのが妥当なのでしょう。
(無理なことなのだが)宇多田照實とも、ヒカルとも関わりのない人として「ひっそりと死んでゆきたい」という意図なのだが、遺書にその意思を書き込むことで(意見は多々あるものの)幾分かは達成された、と言える。

 ベランダのアイスボックスの上に片方のスリッパ、もう一方は路上という乱れはあるにしても、藤圭子は一言の泣き言もなく新宿の宙を飛んだ。2013年〈平成26年〉8月のことだった。


               2

 藤圭子は「ただ一度でいい、歌いたい」と思っていたのではないか。

 九州、八代での公演の後で、すれ違ったおばあちゃんからかけられた言葉
「藤圭子はいいのぉ、生きていたらもう一度、聴きたいのぉ」
というこぼれ落ちるような声が耳から離れなかったのではないか。
 人は、困難に出会うと初心に帰るわけで、藤圭子にとっての初心は「歌うこと」なのは当然で、「歌うこと」で人生のトバグチをもう一度開きたいという願っていたのだろう。

 60歳まで、それをひたすら待っていたような気がする。60歳が間近になるにつれ
「私は誰にも知られずに、消えてゆくように死んで行きたい」
という発言と入れ替わるようになってくる。この言葉の登場が藤圭子の
「ただ一度でいい、歌いたい」
という意志との見えない別れを示している。そう、ぼくは思っている。
 そうして何もなく60歳に近づく。何もない夕暮れのように黄昏の歳月は過ぎていく。60歳になり、歌うことをあきらめる。刻限はきたのだ。そうして、2年後、石坂まさをが亡くなり。「歌うこと」そのすべてをあきらめる。これで最早すべての未練を断ち切った、というのが本心だろう。

「藤圭子は歌いたがっていた」という記録はどこにもない。
 それは、藤圭子が世間から身を隠すのが「ヒカルのためだ」と信じていたからだ。それは、宇多田氏に押しつけられた言わば策謀で、信じ込まされていただけなんだという意見も多い。だが、実際のところ信じ込んでいたというのがある意味、本当のところなのだろう。

 だから、藤圭子は、藤圭子によって封印されていた。それは、自分より先に歌を「自死」させていた、とも言えるだろう。

(ついでになるが、)藤圭子がヒカルの前から姿を消したのは、ヒカルの暴言ではなく、宇多田氏の言葉を信じた結果であり生涯これを守ったのだ。すべてヒカルへの愛情の証なのだと思いたい。ただし宇多田氏は、藤圭子の存在を疎ましく思う心がなかったかは、不明だ。

 このピクリともしないほど固められた膠着を解いて藤圭子に歌わせることができるのは、ヒカルだけだった。けれどヒカルは「何もしない娘」だった。
 どうしてなのか。理由はいくつかある。ほぼ外れていない推測だが、
 父親から、都合の良い情報を受け続けることで、母のために(何とかしなければと)真剣になることができなかった。
 自分の創作に追われていて、できるだけそれ以外のことには意識をむけなかった。
 嵐の女神という言葉が残っている。精神の病を抱える人の身内はそれはもう逃げ出したくなるものだ。

「何もしない娘」が、動き出すのは2010年の人間活動を待つしかない。
 それは言い訳をしない藤圭子が、「ヒカルは冷たい」と漏らしたのをどこからか聴きつけた頃からはじまる。

「2010年にヒカルが無期限休養を発表したのは、両親、特に照實氏から離れたかったからといわれています。親子感情の面でも仕事面でも両親に対する不信感が強まり、ここ数年はロクに連絡もとっていなかったようです」
という記者の証言もある。

 しかし、人はどうして遠回りをしながら話しをするのだろう。身近な人ほど直截に語ることが難しくなるのだろうか。
「母ちゃんの『面影平野』カッコイイっ」
とヒカルはラジオで叫ぶのだが、これだってぼくには
「母ちゃん、死なないで」
としか聴こえない。ほら、そいつは、こころの遠回りでしかないのだ。

「母ちゃん、一緒に歌おうよ」
こう言えば、ほとんどのことは解消されたはずなのに、それができなかった。

 もし費用が必要なら、ヒカルがすべて負担したっていいじゃないか。これができたら、宇多田氏(と東芝EMI)の陰謀がいかにひねこびたものか明らかにできたのだ。だが案に相異して、不幸は幸福をベランダから突き落とすように進んでいった。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年06月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30