藤圭子は、幸福の裏側の孤独に手を伸ばしてしまった。
ことはひょんなことからだった。藤圭子は「あたしの歌を好きな人のために歌っていこう、これからはそうしよう」と決めていた。それは97年、八代亜紀と行った「ビッグショー」での手応えからはじまるのだと思う。
自然にすべての飾りを捨てて歌う(「ビッグショー」の中での)「天国」は媚びを嫌い、少し行き過ぎることはあったにしても本気で歌う藤圭子の歌の新しい姿だった。一度は失いかけた藤圭子の声でもなく、天性の技巧でもなく届く歌。素直な歌が自分のこれからだと思い定めていたのです。
「やっぱり藤圭子はいいよねぇ」
敦賀の公会堂の通路で足の不自由なおばあちゃんが知らずに声をかけてくれた。
「そういう人のために歌うんだ」
と決めて地方巡業に出はじめようとしていた時期だった。
藤はある地方の街での歌謡ショーに出演した。
当時、藤圭子はヒカルと入れ替わるように表舞台から姿を消し、地方公演などの芸能活動も一切休止していた。それが、突如としてステージに姿を現しただけでも驚きだった。けれどそれは、時期から言えば、藤の新しい生き方へのきっかけを目指す節目の地方巡業だったのでしょう。(断れないスジからの依頼だったという説もあるが、それとは別に藤圭子は歌いたかったのです)
もっとびっくりしたのは、彼女のパフォーマンスだった。
藤圭子は、最初は演歌歌手の地方営業のパターンで持ち歌を歌っていたが、途中、自分でMCをしながらヒカルのことをうれしそうに語りだし、そのままカラオケに乗せて「Automatic」を歌いはじめたのだ。しかも、娘とそっくりの振り付け、ダンスつきで、丸々1曲を歌い上げたという。
実はその地方営業には、ある芸能記者が居合わせていて、ステージの模様を克明にレポートする記事を『女性セブン』(小学館)に持ち込んだ。ところが、その記事が掲載された『女性セブン』は発売直前、編集部に圧力がかかり、なんと強引に輪転機が止められ、刷り直しになってしまった。
内容的には何も差し障りのない記事だったのに、藤のくだりはすべて削除された。
藤圭子とヒカルを結びつける行為は、ファミリーにはタブーだったのだ。東芝EMIからの意図がどこまで働いているか、それはわからない。けれど宇多田氏は
「ヒカルのためにならない」
を背景にはっきりとタブーを行使した。
藤圭子はこの出来事を境に廃業状態になります。「藤圭子が廃業」、このなんとも馬鹿馬鹿しい言葉が実行されたのです。藤圭子は、そんなちっぽけな存在であるわけはないし、藤圭子がいなくなればある時代がすっぽりなくなってしまう。それくらいのことなのだ。無視しても良いのだが、藤圭子は従った。それは、
「ヒカルのためにならない」
という言葉には逆らえないからだ。
歌えない孤独は、そろそろとはじまった。
翌年2000年7月、ヒカルのファーストツアーの札幌でのステージ。ヒカルの「ママー」という呼びかけに応えて、藤圭子は舞台に上がった。ヒカルとともに『圭子の夢は夜ひらく』をデュエットした。
「藤さんの幸せそうな顔が脳裏に焼きついている」
とこのステージを見た札幌在住のライターは話す。
「藤さんは娘の活躍がうれしかったんでしょうね。当時、メディアにはほとんど出ていなかったので、突然の登場に驚きました。ヒカルさんは、藤さんが歌うのを、横からとてもうれしそうに目で追っていました」
この宇多田氏と周りのお目こぼしのような出来事、いわば(歌手母娘の)ごくごく普通の幸せを最後に藤圭子は歌わない、歌えない孤独に入っていった。
この世の中に、藤圭子と宇多田ヒカルという二人の歌手がいていいじゃないか。このとても普通で自由な世界のどこが悪いと言うのか。さあ、教えて欲しい。
「ヒカルのために」と言うまやかしをこれ以上続けたがる秘密はなんなのか。この素晴らしい奇跡のような出来事を止めたがるのは、どんな理由があるのか。久しぶりにメフィストフエレスにご登場いただこうか。(�イ�らメフィストフエレスが宙の舞でやってきた)
「ハイハイ、お答えを申し上げます」
「人は、人を不幸にしたがるものでございます」
尻尾の↑がピクンと動いた。
「どうして、どうして」
「それはね…そうしないと幸せが実感できない人がいるのです」
それにしても藤圭子を宇多田氏がこんなにも規制することに、ほとんどの人は違和感を感じるだろう。
「これは、おかしい」と。
しかし、このにわかに主客転倒した家族は不都合を撒き散らしながらこのまま進んでいくのです。
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